03-2-1:友達として

本文-ヴェーラ編1

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 翌朝、カティは顔に当たる柔らかい感触に驚いて目を覚ました。

「……?」

 エレナの胸に抱かれる体勢になっていることは数秒で理解した。だが、なぜエレナが下着姿なのかはついに理解出来なかった。つまりカティの顔は、半ばエレナの素肌に埋もれていたということになる。

「ぬ、脱いでるわけじゃないから、セーフかな」

 カティは自分の服を確かめて息を吐く。室温は低かったが、気持ち顔が熱かった。カティはエレナを起こさないように慎重にベッドから出て、枕元の時計を見た。まもなく八時半。いつもよりはかなり寝坊してしまった。携帯端末モバイルを確かめるが、いまのところヴェーラたちからの連絡はなかった。今日もあの訓練に付き合うことになる予定だが、時間は教えてもらっていない。機密に関わる事柄だから、隠せる情報は直前まで隠したいのだろう――と、カティは理解していた。

 惰性で制服に着替えたカティは、机の上に放置されていた小説を手に取ると、ソファに座って読み始める。すでに四周目の小説だったから、展開は完全に頭に入っていた。これは一種の目覚ましの儀式のようなもの――カティはそんなことを毎日思いながら、毎朝数ページを読む。

「あー、もう……」

 エレナの下着姿、柔らかな胸の感触を思い出して、カティの胸が少しざわつく。カティは記憶にある限り、ここまで他人と物理的距離を縮めたことがなかった。そして、そんな環境に於いて、警戒心の一つも持たずに眠ってしまった自分にも驚いていた。

「恋愛対象じゃないっての」

 カティは本を閉じて、キッチンに向かう。コーヒーを作るためだ。無論インスタントの。

「あ……」

 しまった。アレがない。お湯を注ぎ終わったところで、カティは重大な落ち度に気が付いた。

「昨日ので最後だったんだっけ」

 カティはがっくりと肩を落として、冷蔵庫の上にある籠を恨めしげに眺めた。

「おはよ」

 エレナがベッドから寝ぼけた声をかけてくる。カティは生返事をしながら腕を組む。

「どうしたの、カティ。怖い顔して」
「エレナ、服着て。ていうか、なんで下着なんだよ」
「ごめん」

 エレナは素直に謝った。一方でカティは、素直に謝られたことに動揺した。

「少しでもカティを感じたかったから、その、脱いじゃった」
「下着はせめてもの良心か?」
「うーん、ちょっと違う」

 エレナはベッドの下に落ちていたパジャマを着ながら、首を傾げる。

「全部脱いでたら、カティに嫌われちゃうと思ったから」
「嫌いはしないけど。困りはしただろうな」
「なら脱げばよかった。ついでに脱がせばよかった」
「脱がされてたらさすがに殴ってた」

 カティはそう言いながら、車のカードキーを手にとった。

「え、もう出かけるの?」
「朝食がない」
「作ろっか?」

 エレナはそう言うと、小さな冷蔵庫を指差した。カティは「無理」と首を振る。

「私、料理できるんだけど?」
「豆パン作れる?」
「は?」
「豆パン」

 カティの言葉にエレナは目を丸くする。

「まめ……パン? なにそれ?」
「豆が入ったパン。菓子パンの一つ」
「豆が入った……パン? お、美味しいの?」
「朝はアレを食べないと力が出ない」
「危ないパン?」
「危ないパンってなんだよ」

 カティは苦笑交じりにソファに腰を下ろす。エレナは少し慌てて昨夜用意した普段着を身にまとう。ワイシャツにベスト、そしてスラックスという出で立ちだ。カティも制服ではスラックスを選択していたから、まるで美男子二人が見つめ合っているような構図だった。

「カティが大きくなったのはその、なんだっけ、豆パンの力?」
「かもね」

 カティはあからさまに面倒くさそうな雰囲気を発してそう応える。エレナは憤然とした表情を見せながら、カティが陣取っていたソファに身体をねじ込んだ。

「一人用!」
「私はそうは思わないわ」

 エレナはそう言ってカティに密着する。

「お前が思わなくても一人用なの!」
「彼氏ができたら喜んで二人で座るくせに」
「できないできない」

 カティは顔を近付けてくるエレナを引き剥がし、諦めて立ち上がる。

「カティさぁ、男子のこともたまにはちゃんと見たほうがいいよ」
「興味ない」
「ヨーンは?」
「ヨーン……んー。どうだろうな」

 カティが唯一個体認識をしている男子候補生がヨーンである。頼れる相棒、あるいは愚痴を言い合う友人という認識は持っていたが、男性として意識したことは今のところない。

「ヨーンは絶対優良物件だし。私もまぁ、うん、応援する」
「いやいや、そういう話ないし」

 カティはそう言ってバッグの一つも持たずに部屋を出ようとする。エレナはバッグを小脇に抱えて慌てて後を追う。

「どこいくの? お店なんてまだ開いてなくない?」
「コンビニ」
「ええと、すぐそこにある、あれ?」
「あそこには豆パンがないから、車で行くんだ」

 カティは部屋のオートロックが動作する音を確認して、歩き出す。エレナはその隣に並んで有無を言わさず腕を組む。カティは鬱陶しそうにその手を引き剥がそうとしたが、エレナは躍起になってしがみついた。

「好きにしろよ、もう」
「カティに彼氏ができるまではここは私のものってことでいいわよね」
「いや、よくないし」

 カティはそう言いながらもエレナと歩幅を合わせている。

「あなたがめちゃめちゃ憎たらしかったらよかったのになぁって思うよ」
「なんだよ、藪から棒に」
「昨日も言ったでしょ。あなたの存在のせいで一番になれなかったって。だから憎めたらいっそまだ清々しかったのになぁって」
「人を憎んだって何も得られやしないさ」
「あなたにだって憎い人もいるでしょ」

 エレナはそう言いながら、カティの車に目をやった。しんしんと雪が降る朝の空気は、まるで薄い刃のような切れ味だった。

 カティは数秒沈黙した末に、その問いへの回答をしないことに決めた。代わりに自分の愛車を指差して言った。

「大衆車で悪いけど」
「そんなこと気にしないし」

 エレナは努めて居丈高に言った。

「庶民の車も悪くないわよねって思ってるわ」
「お尻の血流がよくなることは保証するよ」

 カティはそう言いながら運転席に乗り込み、システムを起動する。助手席に乗り込んだエレナは、ハンドルに手をかけているカティを見て少し驚く。

「まさか、手動運転マニュアルで行くつもり?」
自動運転オートマは性に合わない」

 手慣れた所作で車を発進させ、危なげなく公道に出る。強烈に凍結した路面も難なくクリアして、システムの導くままに進路を変えていく。

「よくこんなツルッツルの未開の道を手動運転マニュアルで運転する気になるわね」
自動運転オートマの制御ロジックが見えないから、何かあっても対処できないと思ってさ。よほど退屈な道でもない限りはだいたい手動運転マニュアルだ」

 その時、システムが自動的に音楽プレイヤーを立ち上げた。カテゴリーを勝手に選んで、勝手に音楽を流し始める。

「これは?」
「アタシが作ったプログラムなんだ。時間、声、表情、運転の状態を考慮して、最適な曲を選んで流してくれる」
「へぇ。あなた、そんな趣味あったの」
「戦闘機の制御プログラム作るのに比べたら片手間作業だ。これ、命に関わらないしね」
「あなたってホント、腹が立つくらいの秀才よね。私は天才だけど」
「はいはい」
「なんかカティに邪険にされるのにも、ちょっと感じてきた」
「やらしい言い方するな」

 そう言った矢先、視界が白く霞む。地吹雪だ。カティは素早く自動運転オートマに切り替えて、視界不良を補った。こういう事態の際には、機械の目には勝てないと知っているからだ。

「ナイス判断」
「どーも」

 カティは視界がクリアになるなり手動運転マニュアルに戻して、スピードを落とした。目的地に着いたのだ。

「コンビニとか、初めて入るわ」
「お嬢様はお嬢様御用達の店でもあるのか?」
「あるわよ?」

 あっけらかんと言うエレナに、カティは「そ、そうか」とやや気圧けおされた反応をした。

 小さな店内には、誰もいなかった。このあたりのコンビニは基本的に無人店舗だった。レジのある店舗も未だ存在はしていたが、今や主流となっている無人店舗では買いたいものを持った状態で店を出れば勝手に決済されるようになっていた。ちなみにカティの利用履歴には「豆パン」がずらりと並んでいる。

「豆パンあった?」
「三個しかなかった」
「それ、三個も食べるの?」
「まさか。一日一個だ。買いだめ」
「そっか」

 エレナはなるほどと頷いた。

「私は何食べようかな。豆パンはだめ?」
「だめ。アタシの」
「ちぇ。じゃぁ、これにする」
「それ、お菓子」
「お菓子と菓子パンって違うカテゴリなの?」
「違うだろ。菓子パンはパン。お菓子はお菓子」
「異議あり!」
「アタシにはない」

 カティはそう言うと、棚から丸いパンを取り出した。

「カレーパン?」
「どう?」
「朝カレーの趣味はないわ」
「じゃぁ、焼きそばは?」
「なにそれ」

 エレナはカティの指差す先を見て「ああ、ホットドッグの焼きそばバージョンね」と妙な納得をする。

「なんかゲテモノな感じがするけど、挑戦するわ」
「イヤ、そんな大袈裟な」

 カティはそう言って備え付けの袋に豆パン三つと焼きそばパンを突っ込んで店から出ようとした。その時だった。カティとエレナの携帯端末モバイルが同時に激しく鋭い音を弾き出した。

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