夕刻に行われたユーメラ大規模空襲。それは士官学校での教練を終えて、一同まさに引き上げようとした頃に起きた事件だった。士官候補生たちのほとんどは今、ロビーや食堂に集まっていた。講堂も開放されており、そちらにも数百名からの候補生がいるはずだった。カティ、エレナ、そしてヨーンの三人は食堂の隅の席に陣取って、食堂備え付けのモニタと自分たちの携帯端末で情報収集を行っていた。
寿司詰め状態と言ってもいいほどの人口密度なのに、ほとんど誰も喋らない。モニタのスピーカーから響く、臨時ニュースの音声が寒々しく響いている。ヨーンが携帯端末を睨みながら言う。
「仕切りは参謀部の第三課。アダムス少佐の所だ」
「空軍主体だからな、そうなるか」
カティは無感情にそう言って、食堂のモニタに視線を送る。燃え盛るユーメラは、カティも良く知っている都市だった。ユーメラの士官学校の隣接都市だったから、何度か紙媒体の書籍を買いに行ったりもした。だが、それらのレトロな書店は、たぶんひとつも生き残らなかったに違いない。その程度の確信を持てる程度に、ユーメラはどす黒く燃え上がっていた。
「カティ、だいじょうぶ?」
「……ああ」
エレナの言葉に、カティは金属のように固い声で応答する。エレナはヨーンと視線を合わせ、揃って眉根を寄せた。実際の所、カティは自分が激しく動揺しているという事実を受け止めきれずにいた。カティが故郷と呼べる場所を根こそぎ失うのは、これで二度目だ。規模もやり方も違うとはいえ、どうしてもあの時のことがフラッシュバックする。
「くそっ」
頭を振りながら、カティは携帯端末を睨みつける。
「カティ、無理しないで」
「今はそんなことを言う時じゃない」
エレナの言葉を振り払うカティ。エレナはしばらく沈黙して、「それもそうよね」と力なく同意した。ヨーンはその言葉に頷きながら、携帯端末の士官候補生を含む軍関係者にのみ公開されているサイトを示す。
「ユーメラってさ、確か現地防空隊が半減したばかりだよね。第六艦隊が沿岸常駐になるっていうので」
「……だな」
カティはそれを一瞥して応じる。配置転換になった防空隊というのが、エウロス飛行隊の一部隊・パースリー隊だったはずだ。
「F102……!?」
食堂の誰かが叫んだ。陸軍、あるいは海軍の候補生だろう。彼らはF102が、未だ飛ばせるものだということを知らない。無論、この士官学校に配備されているということも。その言葉に、食堂内がたちまちざわつく。空軍候補生たちの声には緊張が、陸軍・海軍候補生たちの表情には戸惑いがあった。
「あんなもんでアーシュオンの新型とどう戦うんだよ……」
その誰かの言葉は、カティたちの心の声の代弁でもあった。一機や二機ならともかく、配備されていた防空部隊を蹴散らしてなお六十機以上もの余力があるアーシュオン。対して、ろくな支援も得られない超ロートル機が十数機。しかもすでに離陸すらさせてもらえずに撃破されている機体もあった。彼らはただの鼠だった。鷹に狩られるのを待つだけの。
モニタの中では若い女性レポーターが懸命に状況を伝えようとしている。燃え盛る都市の外れで、瓦礫を盾にしながら。
「あっ……」
カティの声が、妙に響いた。カティの目はレポーターの背後から敵機が接近してくるのを捉えていた。
『あ、あたりは火と瓦礫と、死体の山です! とても、う、動けません!』
「ばかっ、伏せろ!」
カティが立ち上がって怒鳴った。次の瞬間、カメラが捉えていたのは上半身が吹き飛んだ女性レポーターの姿だ。惨たらしく粉砕されたその身体が断面をカメラに向けて倒れた。それに一歩遅れてカメラも倒れる。撮影クルーもきっと負傷――いや、恐らく死亡したのだろう。
映像は何事もなく別の地点からのものに切り替わる。現地にいるニュース配信関係者を総動員して映像を送らせているのだろう。
今度のレポーターは男性だった。年齢まではわからない。だが、興奮した様子で空を指差している。
『増援です! 北の方向から一機の黒い戦闘機が!』
その言葉だけで、空軍の候補生たちは誰が来たのかを把握できた。たったの一機でこの敵がうごめく空域に突っ込んでくる黒い戦闘機を操る者――そんな超人は、暗黒空域以外にはいない。
「シベリウス大佐だ……!」
誰かが言う。カティたちはようやく息を吐いた。「これでなんとかなる」という確信を、誰もが持った瞬間である。次第に冷たく固かった周辺の空気が緩む。誰かが「反撃だ!」と声を上げれば、他の候補性たちもそれに同調する。カティたちも少なからずそう思った。
モニタの内側ではレポーターが叫んでいる。
『恐らくエウロス飛行隊! その隊長、かの暗黒空域シベリウス大佐の新型機と思われます! 助かった! これで助かる!』
レポーターが右手を振り上げた。それとほとんど同時に、画面の中を轟音が埋め尽くした。
『エウロ……ス……たすけ……て……』
倒れた男の頭部が割れていた。内容物がぐにゃりとこぼれ出るほど。倒れる候補生はさすがにいなかったが、それでも誰もが言葉を失った。
「戦争……」
誰かが言う。エレナも、ヨーンも、目を見開いて、しかし焦点の合わない目でモニタを眺めていた。カティは口元を押さえ、テーブルの中央を睨んでいる。その両目から涙が次々と落ちていく。いち早くそれに気付いたエレナは、すぐに立ち上がってカティを背中から抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫。シベリウス大佐が仇をとってくれる」
カティは言葉もなく何度も頷いた。故郷・アイギス村の事件。あの惨状を、カティは鮮明に思い出してしまった。切り離されて落ちた兄の頭部。カティを見つめる虚ろな目。しかし、その光景は一瞬で変わる。現れた男の一人が、いとも容易く踏み潰した。糸を引いて転がる目玉。その男は足を振ってカティにその脳漿と血液をふりかけて笑った。カティの家族は即死させてもらえなかった。両手両足を切断されて並べられた家族たちは拷問の限りを尽くされて、最終的には爆薬で吹き飛ばされた。立ち尽くしていたカティの身体に、肉片と血の雨が降り注いだ。生暖かいその感触を、カティは思い出してしまった。
これでもかと口を押さえて嘔吐をこらえるも、その全身の震えまでは止められなかった。そんなカティの背中をさするエレナの体温がなければ、カティはもしかすると慟哭していたかもしれなかった。
「ヨーン、あなたもぼけっとしてないで、カティの手を握るとかしなさい!」
「え、でも」
「ばか! そういうところで躊躇うな!」
エレナの剣幕に押され、ヨーンは戸惑いながらもカティがテーブルに押し付けている拳を両手で包んだ。カティは視線を動かすことはなかったが、震えながらもその手を開いた。ヨーンがエレナを見ながら訊く。
「移動する?」
「そうしま――」
「いや」
カティは首を振った。涙は止まっていない。震えも止まっていない。エレナは「わかったわ」と頷き、カティを一度強く抱きしめた。カティはきつく目を閉じて、意識して何度か深呼吸した。
「ありがとう。もう大丈夫。今は、大丈夫だ」
カティは震える声を発し、そして再びモニタを見た。そして目を見開く。
「F102と暗黒空域が共闘してる……!?」
その状況を把握したのはカティが最初だった。なぜならそのF102は未だ離陸していなかったからだ。だが、カティには数手先まで見えていた。このF102は違う。乗り手が違うということを、瞬時に見抜いていた。なぜそう思ったのかはカティにもわからない。だが、わかったのだ。
暗黒空域カレヴィ・シベリウス大佐は、文字通り化け物だった。あまりに圧倒的だった。六十もの敵機を物ともせずに、一瞬で空域を支配してしまった。単機突撃してきたその機体が暗黒空域であった時点で、敵機の統率と指揮系統は粉砕された。また、一方的な虐殺に興じるつもりだった敵の飛行士たちの士気は欠片も残さずに消し飛んでいた。暗黒空域は未だ奮戦していた数少ない防空部隊を全機退避させさえした。しかし、その中にあって、なぜかこのF102は離陸したのだ。
そして、カティたちはその圧倒的とも言える戦闘技術に言葉を失う。F102に乗っているパイロットの技術は、あのハルベルト・クライバーと並ぶか、それ以上だった。ミサイルを僚機のように完全に支配下に置いて、最新鋭の敵機を追い込んでいく。鼠が鷹を狩っていた。羽つきのカンオケが、敵の死体を求めて飛んでいる。
あんなの見せられたら、一般人はF102の現役復帰すら望みかねない――その場にいた誰もがそう思った。特に空軍候補生は、そのことに甚大なる危機意識を持った。
「その前に十人以上なぶり殺しにあってるんだぞ」
興奮気味にF102の活躍を伝えるレポーターたちに、誰かが怒りの声を上げた。あんな例外を持ち上げるな。犠牲者を隠すな。候補生たちは皆そう言っていた。
「このパイロット」
ヨーンが重苦しい声を発する。
「僕たちと同じ思いなのかもしれない。僕たちの怨念のようなものかもしれない」
「怨念?」
エレナが表情を翳らせる。ヨーンは頷く。
「だけど、あのパイロットは間違えたかもしれない。こんな事したら、逆に犠牲者が増える。僕たちは少なくとも、大きな影響を受けてしまうだろう」
「そうね」
厳しい表情でエレナが応える。その時、統合首都の放送局にいるキャスターが、新しい情報を読み上げた。
『あの戦闘機のパイロットは、高等部のカルロス・パウエル候補生だそうです』
「高等部? シミュレータ訓練だって未履修じゃないのか?」
空軍候補生の誰かが反応する。カティは鋭い視線をますます尖らせる。そうだ、シミュレータは上級高等部に入ってからの教練だ。ということは、そのカルロス・パウエルという人物は、まったくの初体験であの機体を飛ばし、あまつさえ――。
『撃墜! 撃墜です! パウエル候補生が敵機を撃墜しました! アーシュオンの最新型、FAF221を撃墜しました!』
「信じられない」
カティは思わず呟いた。エレナやヨーンも硬直してモニタを見上げている。食堂に沈黙が落ちる。あまりの事態に誰もがあっけに取られていた。
かすれた声を発したのはエレナだ。
「パウエルって、あのパウエル少佐の関係者かな?」
「うちの教練主任? そういえば年の離れた弟がいるって何かで読んだ気がする」
ヨーンが応じる。カティも頷く。何かのインタビューでそのあたりに触れていたはずだ。カティたちの教練主任であるエリソン・パウエル少佐も、かつては暗黒空域、異次元の手と並ぶ、超エースパイロットだった。負傷さえしなければ、今頃ヤーグベルテを守っているのは、双璧ではなく三本柱だったかもしれなかった。
「ま、真偽はすぐに明らかになるよ」
ヨーンは燃え盛るユーメラの上空から、敵機が完全に駆逐されたのを確認する。エウロスの主力部隊、ジギタリス隊とナルキッソス隊も到着した。もはや敵の脅威はないと判断して良いだろう。暗黒空域が率いるエウロスのいるところに、貴重な航空部隊を送り込むような愚を犯すような者はどこにもいない。
「エレナ、もう大丈夫だ」
カティは背中から抱きしめてくれているエレナの手に触れて、ゆっくりと立ち上がった。ヨーンとエレナもカティに並ぶ。食堂の候補生たちが移動し始めていた。彼らも戦闘は終わったと判断したのだろう。
「あのさ」
ヨーンが思案顔で言う。
「食事でもしながら続報を追わない?」
「は? 食事?」
エレナが目を三角にしかけたが、カティは「ああ、そうだな」と言いながらエレナと手を繋いだ。
「カ、カティ?」
動揺するエレナに、カティが少し影のある微笑を見せる。
「お礼。さっき、嬉しかった」
「あ、あ、うん。そう、それはよかったわ」
頬を少し染めてエレナは答える。カティはエレナと手を繋いだまま、ヨーンに顔を向けた。
「色々あってアタシ、すごく空腹だ。イライラするくらい空腹だよ、ヨーン」
「女帝陛下の仰せとあらば。ファミレスで良ければお連れしますよ」
ヨーンは努めてお道化て言う。そして携帯端末を操作して、近場のレストランの席を確保する。しかしエレナはさっきのカティの様子を思い出して、やや渋面になった。
「カティ、本当に大丈夫?」
「本当は大丈夫なんかじゃない」
カティはそう答えて、エレナの手を握り直した。そして大きく息を吐く。
「アタシ、今夜はちょっと眠れそうにない」
「ですってよ、ヨーン」
「へ?」
思わぬキラーパスに動揺するヨーン。エレナはニヤリと右の口角を引き上げて、カティから手を離して腕を組んだ。
「へ? じゃないわよ、ヨーン。呆れるくらいにダメなやつね、あなた」
「え、いや、だって僕は」
「あぁぁぁぁぁ、もうっ! ほんっとに、カティをお嫁さんにしちゃうよ、私。いいの?」
「い、いや、それは」
何の話だ?
カティは右の頬を引っ掻いた。そして思い出す。
「そういえば、ヨーン」
「ん?」
「あのさ、この前、アタシが倒れた時にさ。アタシを助けたいって言うのには二つ理由があるって言ったよな? ひとつは合理的理由で……もう一つってなに?」
「い、今それ訊く!?」
ヨーンは詰め寄ってくるカティに対して仰け反る。カティは至って真面目な顔だったが、その後ろにいるエレナは眉尻を下げておかしな表情になっていた。
「合理的理由とぉ?」
揶揄するようにエレナが言う。ヨーンは大きな身体を小さくして、顔を赤くしている。
「ジュバイル、勘弁してくれよぉ」
「まぁったく! ほんっと煮え切らない男ね! 続きはご飯食べながらにしましょ。じっくりとね! ね、カティ」
エレナはここぞとばかりにカティの右腕を捕まえて、半ば強引に腕を組んだ。
「エレナ、最近すごく距離近くない?」
「そぉ? でもこれ、愛する人へのアプローチだもん、しょうがなくない?」
「……なのか?」
カティは首を傾げる。その表情を見て、エレナは「たまりませんなぁ!」とだらしない顔で感想を述べた。
「ねぇ、カティ! ひとつ訊いていい?」
歩きながらエレナはニッと笑う。カティは「?」を顔に浮かべて、エレナに視線を送る。
「キスされるとしたらぁ、私とヨーン。どっちがいい?」
「こ、こら、ジュバイル!」
ヨーンが慌てて止めにかかる。カティは頬を紅潮させていた。
「ねぇ、どっちぃ?」
「そ、それは」
「あー、カティ、決めなくていい。言わなくていい。考えなくていい」
髪と同じくらいに顔を紅くしているカティに、ヨーンは慌てて言った。エレナはニヤニヤが止められなくなっている。
「ふふ、これもご飯食べながらの話題だねぇ」
「勘弁してくれよ……」
ヨーンは首を振って先頭を歩いていく。気持ち、速歩きだった。
「エレナ」
カティはエレナを見た。
「アタシのキスなんてもらってどうするんだ?」
「どうするとかこうするとかの問題じゃないでしょーが」
エレナは肩を竦めつつ、大きく大きく息を吐いた。