カティたちが駐車場についたちょうどその時、カティが左手に持っていた携帯端末が規則的に震え始めた。着信である。カティはエレナに捕まえられていた右腕を自由にしてから、ヨーンの車を前にして携帯端末を耳に当てた。
『もしもしカティ! あのね! お話があるの!』
通話が開始されるや否や、ヴェーラの声が周囲に響き渡った。カティはたまらず携帯端末を耳から離して、スピーカーモードへと切り替えた。エレナは「あ、ヴェーラちゃんだ」と少しテンションを上げ、ヨーンは「あぁ、噂の彼女か」と頷いていた。
「ヴェーラ、そんなに怒鳴らなくていいから。で、どうしたんだ」
『わたし、お話があるの!』
「それはわかったから。ベッキーはそこにいる?」
カティが訊くと、待ってましたと言わんばかりにレベッカが声を出した。
『貸しなさいよヴェーラ。あなたじゃ話が通じないわ』
『なにぉぅ、ベッキーのくせに』
『八つ当たりしないで』
レベッカはピシャリと言うと、「この後お食事でもどうですか」と誘ってきた。カティはエレナとヨーンを順に見て、少し思案する。
「うち、ツレがいるけどそれでもいいか?」
『ツレ? エレナ?』
「あともうひとり」
『ははぁ』
ヴェーラの声が割り込んでくる。
『わたしの独自の調査によると、空軍候補生三傑の残り一人、ヨーン・ラーセンどのですな!』
「三傑……? 初耳だな」
『わたしが、まさに今、考えたからね!』
ヴェーラが言う。エレナとヨーンが、カティの視界の端で苦笑している。
『カティのお友達ならもちろんいいよ。あ、そっちが良ければだけど。っていうか、わたしは今、カティとめっちゃお話したいんだけど!』
『こら、ヴェーラ、そういうダメ押しはダメでしょ!』
『だってわたし、今カティとお話できなかったら明日も明後日も明々後日もイライラしてベッキーに八つ当たりすると思う!』
『なんで私に八つ当たりするのよ!』
『理不尽だから八つ当たりって言うんだよ!』
二人の舌戦が始まる。カティたちはその間にヨーンの車に乗り込んだ。ヨーンは運転席で、カティは助手席に乗ろうとしたのだが、エレナによって強引に後部座席に押し込まれた。
「もう、強引だなぁ」
カティはなおも口論しているヴェーラとレベッカの声を聞きながらぼやく。エレナはそんなカティの太ももにナチュラルに手を乗せてくる。
「こうじゃないとあなたの足に触れないでしょ」
「触んなよ」
「減らないでしょ」
「そうじゃないし。ていうか、女の足触って楽しいのか?」
カティはエレナの手を掴んで尋ねる。エレナは「うん」と躊躇なく頷いた。カティは「やれやれ」と言ってから、携帯端末に向かって声を掛ける。
「で、ベッキー。ヴェーラでもいいけど。アタシたちはどこに行けばいい?」
『今からピザ屋さんの情報送るから、そこに来て!』
「というか、この事態にお前達、ホイホイ出歩いていいのか?」
『うん、今のわたしたちにできることなんてなんにもないから!』
明らかに尖った声のヴェーラに、カティは「そうか」と短く相槌を打った。そして送られてきた情報をヨーンに伝えて、ひとまず通話を終える。
「音楽聴こうかなと思うんだけど、カティ、君のプレイリストでどうかな」
「え」
ヨーンからの思わぬ振りに、カティは戸惑った。自分のプレイリストを公開するのは、カティにとっては思ってもいなかったことであり、同時に恥ずかしいと思えるような事柄だった。
「こら、ヨーン。この鈍感男。ダメでしょ、そういうのは二人の時にやって」
「え? そ、そういうもの?」
「そういうものよ。ね、カティ」
「あ、あー……二人の時?」
いまいちピンと来ていない様子のカティに、エレナはイライラと前髪をいじくった。そして話題の方向を少し修正する。
「カティはどういう曲聴くの? 一人の時はいつもヘッドフォンしてるイメージあるけど」
「う、うん。笑うなよ?」
「他人の嗜好を笑ったりなんかしないわよ」
エレナはつんと澄ました表情でそう言い、窓の外に目をやった。たぶん多くの人たちは自宅でニュースに齧りついているのだろう。繁華街に入っても、人通りは極めて少なかった。乗用車もいるにはいたが、ほとんどが足を止めている。
ヨーンは運転の殆どを手動で行っていた。ヨーンの性格を反映したような、堅実な運転だった。ヨーンは自分のプレイリストからバラード系のラヴソングを抽出して再生していた。カティはその一覧を目にして「あっ」と思わず声を出す。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
そのプレイリストにある再生数上位の数曲は、カティのそれとほとんど一致していた。古めの、半世紀以上昔の曲が多いという点も同じだった。そこにカティは思わず親近感を抱いてしまう。そんなカティの様子を半眼で見ながら、エレナは「あー、そういうことね」となにかを納得していた。
そうこうしているうちに、三人はヴェーラ御用達のピザ屋に到着する。到着するなり、ヴェーラ、レベッカ、及びその警護官四名に囲まれて店内に連行された。警護官たちはそれぞれ一旦散っていったが、恐らくどこかで監視しているのだろうとカティは推測する。
「とりあえずピザ食べるよ」
ヴェーラは空色の瞳で一同を見回して宣言した。初対面のヨーンは「この子たちが歌姫?」とやや懐疑的な様子を見せた。カティとエレナが同時に頷き、ヴェーラが胸を張る。
「こんなだけど、ベッキーも歌姫だよ」
「ちょっと!?」
レベッカは「不本意極まりない」という表情を露骨に浮かべて、隣で何故か立っているヴェーラの腰のあたりをひっぱたく。小気味よい音を立てて、レベッカの掌とヴェーラのジーンズがぶつかり合った。二人のコーディネートは、スキニーな七分丈のジーンズと白いブラウス、ダークグレーのジャケットで、完全にお揃いだった。彼女らなりに「地味」を意識したのだろうが、首から上が誰もが羨む美しさである。せめて髪を染めるくらいしなければ、何の意味もない変装だった。
「とりあえず」
カティは給仕ロボットが運んできたピザをとってテーブルに置いた。それらは次々と運ばれてきて、ついには五枚となり、テーブルを完全に埋めた。
「駆けつけ一枚。まずは食べるべしだ」
ヴェーラはすでに届いていたアイスティーに口をつけてから、慣れた手付きでピザを切り分け、各人の皿に配置して回った。レベッカも手伝おうとしたが「ベッキー手伝うとサイズ的に几帳面過ぎてダメ」という謎の理由で却下されていた。
「で、さ」
一切れ食べてから、ヴェーラがカティを見据えた。カティはグリーンチリペッパーソースをかけすぎたことを後悔しつつ、その視線を受け止める。冷や汗は辛さによる汗だと誤魔化しながら。
「あの機体。調べたんだけど、F102。イクシオンだっけ? F102。F102」
何度もそう繰り返すヴェーラの声は低く、怒りに満ちていた。もしピザを食べながらでなかったとしたら、カティだって怯むほどの迫力のある目つきと声だった。
「半世紀も前の主力戦闘機だよね、あれ。空軍の人からは羽つきカンオケって呼ばれてるって、フェーン少佐から聞き出した」
「あのユーメラで飛んだ一機、F102で間違いないんですよね?」
レベッカの追撃に、カティたちは揃って頷いた。ヴェーラはピザに目一杯タバスコを振りながら、核心に切り込んでくる。
「あれ、うちの士官学校にも配備されたって、ホント?」
「本当だ」
カティが代表して肯定した。カティの視線の先で、ヴェーラは腕を組んで黙り込み、レベッカは厳しい目つきでカティを見ていた。しばらくそんな空気が場を支配したが、やがてレベッカが軽く手を打った。
「で、でも、ユーメラの一件であの老朽機じゃダメだって、わかったんじゃないですか?」
「いや」
カティが首を振り、エレナを見た。エレナは「そうね」と頷いた。
「そうはならないと思うわ、ヴェーラ、ベッキー」
「なんで?」
「高等部の馬鹿が余計なことをしてくれたからだ」
そう言って、カティは水を飲む。カルロス・パウエル――おそらくはパウエル少佐の弟。そして紛れもなく天才パイロット。彼の活躍で、今もうすでにネットは大盛りあがりだし、マスコミも「小さな英雄!」とセンスのないテロップをつけて取り上げている。テレビもネットニュースも、今夜はその話題で持ちきりだった。
「ほら、見てみろ」
カティが自分の携帯端末の画面をヴェーラとレベッカに向ける。
「……まだまだ戦える、防空戦闘機F102のポテンシャル?」
剣呑な目と声音で、レベッカが読み上げた。ヴェーラは唇を噛んで黙り込んでしまう。レベッカはメガネの奥で、鋭く目を細めた。
「あのパイロットが死ねばよかったなんて思いません。でも、彼の行為は、もしかするとより多くの犠牲者を生み出す契機になってしまったのかもしれない」
「そうだね」
ヨーンがまっさきに頷いた。
「彼の勇気ある行為は、結果として僕らの危機を招き寄せたと言ってもいいだろうね。せっかく暗黒空域が来てくれたのに敢えて飛び出していったことについては、僕は単なる蛮勇だと思う」
「命を賭けた行為というのは認めるけどね」
エレナもそう言った。カティは黙って水を飲む。ヴェーラが冷たい目をして言った。
「政府の思う壺ってことだね」
「軍も、かもね」
レベッカが息を吐く。そんなレベッカの肩を叩き、ヴェーラはピザを口にした。カティも同じようにピザを口に運ぶ。エレナは肩を竦めて自分の皿に乗せられたチーズたっぷりのピザを取った。
「こういう話題でよく食べる気になるわね」
レベッカが言うと、すかさずその鳩尾にヴェーラの肘が入る。目を白黒させるレベッカに、ヴェーラが右手の人差指を立ててみせる。
「こういう時だから、好きなものを食べる。不健康に不健康を重ねてどうすんのさ、ベッキー」
「それは、まぁ、一理あるけど」
鳩尾をさすりながらレベッカが恨みがましく応じた。ヴェーラは瞬く間にピザを一切れ飲み下し、小さく息を吐いてから言った。
「面白くないよ、わたし。こんなのあんまりだ。士官候補生にあんな古い機体をあてがって、襲来する敵を迎え撃てなんて。自殺攻撃にすらなりもしない、ただの無駄死にだ。いや、それよりひどい。軍の宣伝工作、政府の喧伝工作。そんなもののために、カティたちが利用されるなんて許せない」
利用されるのは、わたしたちだけでいい――ヴェーラは心の中で叫ぶ。それは誰にも届かないようで、しかしこの場の全員にその声は届いていた。ヴェーラは何かを飲み下すように一瞬沈黙して、いつもよりも明らかに早口で捲し立てる。
「おかしいんだよ、今回の。フェーン少佐もおっしゃってた。第六艦隊の判断が早すぎるって。増援要請も遅すぎるって。あの時、暗黒空域が新型で単機突入してこなかったら、ユーメラは文字通り全滅していたって」
「ですから、あの戦闘はそもそもあの戦闘機を飛ばすために仕組まれたものじゃないかって」
レベッカが後を継ぐ。ヴェーラは硬直した表情のまま、カティたちを見つめていた。
「つまり――」
ヨーンが自分の携帯端末をテーブルの上に置く。何か急な報せが入らないとも限らないからだ。
「つまり君たちは、あと、フェーン少佐も。あの戦闘はF102の性能を証明するために仕組まれたものだって思ってるっていうこと?」
「陰謀論だって言うなら言ってもいいんだけど」
ヴェーラは店内照明を瞳で反射させながらヨーンを見た。ヨーンは首を振る。
「さもありなん、だね。参謀部第三課の横車って言うなら、ますます納得だし」
「アダムス少佐か」
カティが唸る。一応、カティたち空軍候補生の管理主幹部門は参謀部第三課ということになっている。だがしかし、とカティは腕を組んで唸った。
「誰が得をするんだ、そんなことして」
「空軍だろうね」
ヨーンが言う。エレナは「空軍が?」とカティに代わって尋ねている。
「あのカンオケが文字通りカンオケって証明されたら、そこに予算は割かないで済むようになるっていうのがまずひとつ。そして今回の第六艦隊の早々の敗走を考えると、国民からの心象は最悪だ。艦隊航空戦力も役に立たなかったわけだし。となれば、国民感情的には救援に来た名実ともに英雄であるところの暗黒空域他、四風飛行隊、ひいては空軍への期待が大きくなるよね」
「なるほど」
エレナは頷いた。
「来年度の予算確保のためか。まだギリギリねじ込めるしね」
「そんなことのために」
レベッカが唇を噛んでいた。
「人の命とお金を交換しようとするなんて、どうにかしてるわ」
「そうだね」
ヴェーラが静かに言う。その口調はあっけらかんとしていて、あまつさえ途中でピザを食べていたりもする。それをゆっくりと咀嚼して飲み込んでから、ヴェーラは呼気と共に言った。
「それ、わたしたちも無関係じゃないんだ。というより、わたしたちのせいでこんなことになってしまったのかもしれない」
「ヴェーラ?」
カティが眉根を寄せる。その発言の真意を問う表情だ。ヴェーラは彼女に似つかわしくないほど、ますます先鋭な表情で述べる。
「わたしたちが中心にいる歌姫計画ってのはみんな知ってると思うけど、あれは海軍にとっては海軍の命運を賭けたってくらいに大規模な施策なんだ。大袈裟な表現でもなんでもなく。きっと……いや、絶対にアーシュオンとの戦局が変わる、そういう計画なんだ、あれは」
ヴェーラの断定に、カティたちの表情も鋭くなる。グリーンチリペッパーソースの小瓶にちらりと目をやってから訊く。
「その計画を面白く思っていない勢力がいて、また、アーシュオンもそれを警戒している。だから」
内通者の類、と言おうとして、カティは口を噤んだ。どこに耳目があるかわからないし、そもそもヴェーラやレベッカはありとあらゆるところからマークされていると考えても良かったからだ。
しかしカティが言おうとしたことを、ヴェーラとレベッカはハッキリと悟っていた。レベッカがメガネのレンズを拭きながら、まるで世間話のように口にする。
「空軍にとっては面白くないでしょうね。四風飛行隊の栄光も過去のものになりかねないから」
レベッカの言い分はもっともだった。あのシミュレータ通りの性能があるのだとすれば、既存の航空戦力はもちろん、ありとあらゆる戦闘の定石が陳腐化するのは確実だったからだ。
エレナがカティをつついて、かすれた声で問いかける。
「そんなにすごいの、歌姫計画って」
「ああ。詳しいことは言えないが」
カティは首肯する。今はそれ以上を語ることは許されていない。カティの態度から、ヨーンとエレナはそうと悟る。ヨーンは頷いて、給仕ロボットに空いた皿を手渡す。
「なるほどね。であるなら、なおさら今はお腹いっぱいになっておこうか」
「だな」
カティは頷いて、ヴェーラに注文を促した。ヴェーラは今までの物騒な話が嘘だったかのような華やかな笑みを見せて、これでもかと言うほどのピザおよびサイドメニューを注文したのだった。