なるほどねぇ。
バルムンクの作り出す闇の中で、ジョルジュ・ベルリオーズはどことなく楽しそうな表情を浮かべていた。それは冷徹な彼にしては珍しいことだった。
「まったく、彼はずいぶんとおせっかいな性分なんだねぇ」
アーシュオンによって手酷く空襲を受けたユーメラ。その大都市は、あれから五時間以上が経過した現在も、赫々と燃えている。暗黒の帳を炎が炙っている。臭いも音も、ベルリオーズには届かない。多くのヤーグベルテ国民にとってもそうだろう。そしてその有様はいっそ芸術的でさえあった。身の危険の及ばない破壊、適切にグロテスクなものをフィルタリングされた情報、そういうもので形作られた「真実」は、多くの人にとっては娯楽でしかない。マスメディアがそれをそのように作るのだから、それを受け取る人々には情報のバイアスが連綿と受け継がれてきているのだ。それこそ数百年の昔から。
「ソドムとゴモラはその行いによって神の怒りを買って滅ぼされた。でも、今の時代の人々は違う。彼らは何もしないのだから」
自分の全周に広がる惨劇を眺め回しながら、ベルリオーズは薄い笑みを見せる。そして後ろに意識を送る。
「君も、そう思うだろ?」
背後の闇に銀が浮かび上がる。銀髪の女性であること以外、何一つ意識に残らない不可解な存在だ。その銀は開口一番に言った。
『少々、介入が過ぎた気がしますが?』
「おや?」
ベルリオーズは意外そうな顔をして振り返る。その左目が仄かに赤く輝いていた。銀はゆらゆらと揺らぎ、続ける。
『あれでは悪戯に状況を混乱させるだけでは』
「あれ? ああ、あれか。F102の曲芸飛行だね」
あれは実に刺激的な映像だった――ベルリオーズは満足げに頷く。銀が何か言おうとしたところで、ベルリオーズは右手を振る。
「いいじゃないか、あのくらい。あれは彼のささやかな抵抗のようなものさ」
『しかし、金は――』
「不確定要因。そういうことさ」
ベルリオーズの言葉に、銀は確かにたじろいだ。
「君にとっても、彼は不確定要因。そして、僕もね」
『……それは』
「君がどれほどの存在であったとしても、君の一存で世界は動かないということの証左ということさ。君が今までどれほどの世界を見てきたのか、どれほどの数のティルヴィングの主が破滅してきたのを見てきたのか、そんな事は知らないし関心もない。君自身が量子論的揺らぎであったとしても、さしずめ二重振り子の混沌であったとしても、それは自身の揺らぎを決定できるというようなものではないのさ」
ベルリオーズは目を細める。左目の赤い輝きが鋭利に尖る。
「僕は君の思い通りには動かないさ。そのために、君たちの世界に介入する仕組みを作ったんだから」
『それが歌姫だとでも』
「そう。いや、そうとも言える、かな」
曖昧な答えに、銀は確かに苛ついた。
「僕はこの世界の構造を君たちの設計から逸脱したものに作り変えている。君のもたらしたジークフリートは素晴らしかった。だけど、僕にあれを公開したのは失敗だったんだよ」
『……なるほど。なれば、この世の全ての事象はあなたの予測通り――私を含めて、ということで良いのかしら』
「君がそう思うのならそうだろう。それが君の定義ならばね。不信心な女神とも言われる君の所以さ」
煙に巻くような言葉を受けて、銀は小さく揺れた。
『背信の戦乙女、ですか。言い得て妙ですね。よろしい、私は私の死せる戦士たちを再び動かすことと致しましょう。あなたの生み出した波紋を打ち消せるか、あるいは掻き乱せるか』
「ふふ、ただの人間風情に出し抜かれたくないというわけかい」
ベルリオーズの言葉に、銀は「あはははは」と哄笑を響かせる。
『そういうところが面白いのです、ベルリオーズ。さすがはこの世界の王。ティルヴィングの主。しかし――』
「君の支配からは逃れられない、と」
『イエス。なんぴとたりとて私の手からは逃れられない』
「ははは!」
ベルリオーズは声を立てて笑った。
「何事にも例外はあるさ。君の中に例外処理が組み込まれていれば、だけど」
『あなたが気に入らなければ、私はあなたも、この世界も終わらせることができる』
「できやしないさ」
ベルリオーズは喉の奥を震わせる。
「言っただろう、この世界の構造は、もうすでに組み変わっているんだ。君の既知からは、もう変異してしまっているのだよ」
ベルリオーズは首を振る。周囲の、ユーメラの光景が消えた。一切合切が消え、闇の中に銀とベルリオーズだけが残る。
「もっとも、君が君の私兵を動かすというのなら止めやしないさ。それで僕の計画が終わるというのならそれまでだし、そうならなければ僕はこの歌姫計画を胸を張って続けられるようになる、それだけだ」
全天の虚無の下、ベルリオーズは淡々と語る。銀の姿はいつの間にか消えていた。ベルリオーズは「ふふ」とまた愉快そうに笑って、小さく息を吐いた。
「神を出し抜き、新たなる神を創る、か。おかしいな、僕はそんなことに興味なんてなかったんだけど」
もっとも、それがそうであるというのなら、僕は今の目的を成し遂げるだろう。
あの子たちは、そのための歌姫なのだ。真の歌女神を生み出すための布石なのだ。
「運命というやつは、本当に残酷だよね。そう思うだろう、ヴェーラ、レベッカ、そして、マリア――」
ベルリオーズは冷たい声音でそう言った。
その時にはもう、その世界は完全に闇に落ちていた。