シベリウスはF108P-BLXの改良型である新型機、F108P-BX2で先陣を切る。戦闘空域まであと二時間。昼前には到着できるはずだ。南北に長いヤーグベルテの領土は、当然ながらその領海も広大である。ましてアーシュオンは隠匿性に優れた部隊が多い。一直線に救援に駆けつけたい気持ちはあったが、不意打ちの可能性は常にあるためそうも行かない。母艦リビュエのサポートを受けながら、じわじわと戦闘空域まで進んでいくというのが実情だ。
『リビュエも旧型艦っすからね』
「だな。エウロスも小艦隊級の装備が欲しいな」
エウロス支援戦闘部隊ナルキッソスの隊長、エリオット中佐にそう応じるシベリウス。
『ジギタリス1より隊長。アーシュオンの邀撃部隊と思しき機影を捕捉しました』
「任せる、マクラレン。機体をあっためとけ」
シベリウスはレーダーに見え隠れする敵影を確認し、右を飛んでいる黒いF108Pに視線を送った。その機体は翼を軽く振って、高度を上げていく。
『了解。ジギタリス隊、成層高度に展開。電子制圧を開始する。母艦、バックアップを』
その言葉とともに、彼の指揮下の五機が追従していく。
『リビュエ電子戦闘班、ジギタリス隊各機と論理回線リンケージ。バックアップ入ります』
『リビュエ監視班、準備よし。敵ノード機への侵入試行開始。ジギタリス隊、本艦の空蝉を開放しました。演算リソース確保確認』
『ジギタリス1、了解』
ジギタリス1ことマクラレン中佐の落ち着いた声は、まるで戦闘中ということを意識させない。シベリウスは彼が動揺しているところを見たことがない。頼れる男だった。
『リビュエ電戦班、本機を経由して、敵UAVのIPSへ、飽和攻撃を仕掛けろ!』
『リビュエ電戦班了解。監視班、FW抜かれるな』
『監視班、状況遷移確認。飽和攻撃よろし!』
『電戦班、飽和攻撃、開始!』
よし。シベリウスは頷く。敵影はまだ見えないが、空域の論理ネットワークの状況から、確実にダメージを受けているのはわかる。先制攻撃はまず成功だ。あとはUAVなどどうにでもなる。
「ナルキッソス隊、ジギタリス隊を物理支援。ローズマリー隊、パースリー隊は空域をミサイルで塗りつぶせ。ここで時間を取られたくない」
『ナルキッソス1了解っす。ジギ1、頼むわ』
『お前こそ頑張れ』
息のあった二人の腹心のやり取りもいつものことだ。シベリウスは水平線上に敵機を視認する。
「油断するなよ。ローズマリーとパースリーはこの戦闘で全弾撃ち尽くして構わない。セージ隊と交代する」
『隊長、セージ隊って、アレ装備してるんすか?』
「……ああ」
エリオットの問に、シベリウスは苦々しく応じる。アレというのは核魚雷のことである。国際法的には禁止されている非人道的兵器の一つである。だが、先日のヤーグベルテ国民約百万を焼き殺したアーシュオンに、その使用を非難できる道理などあるはずもなかった。
双方の多弾頭ミサイルの応酬を皮切りに、空域の熱量がたちまち上がっていく。敵は六十、こっちは二十五。シベリウスは油断なく空を切り裂きながら、機関砲だけで撃墜スコアを重ねていく。
「よし、ジギタリス、ナルキッソス、この空域は放置してついてこい」
『了解』
『了解っす』
十三機の黒い戦闘機たちが、燃え上がる空域を背にして味方艦隊の救援へと向かう。追いかけてくる敵戦闘機もいたが、それらはことごとくローズマリー隊、パースリー隊によって叩き落された。エウロスの二軍などと揶揄されるローズマリー隊とパースリー隊だったが、彼らとて超エースたちの集団である。ジギタリスやナルキッソス隊の練度が規格外なだけで、彼らもまた一騎当千の戦力であることには変わりなかった。
『こちらリビュエ管制。シベリウス大佐、セージ隊出ます』
「ああ、そうしてくれ。現着時刻を予定通りに」
『了解』
シベリウスは猛禽の瞳でまだ見えぬ味方艦隊の交戦海域の方向を睨む。
『隊長、アレ使うつもりっすか?』
「状況によるな」
シベリウスは曖昧に応じる。青い空がいっそ嫌味だ。
核兵器の使用というのは、ヤーグベルテの軍人にとっては絶対的な禁忌だ。もちろん、先に殴ってきたのはアーシュオンだ。その約百万人の死者の八割が非戦闘員だったという事実もある。現に今のヤーグベルテの世論は、強力な報復を訴えている。一挙に噴出したヤーグベルテ国民の怒りを受けた軍は、それまで断固として配備してこなかった核兵器をわざわざエウロスの母艦リビュエに運搬してきたのだ。そして参謀部すら通さずに大統領命令ということで、戦闘部隊への配備が命じられたのだ。
アダムスの野郎の横車だ――参謀部第六課統括・ルフェーブル中佐の悔しそうな声が耳に残っている。
シベリウスは舌打ちする。ルフェーブル中佐はこうも言った。
「使用は現場指揮官の判断に委ねる」――と。
つまりこれは、「使用するもしないも現場の判断」……すなわち責任であるというなんとも都合の良い責任転嫁の話なのだ。本当に国を挙げて報復するつもりであれば、敵艦隊あるいはアーシュオンの本土に弾道ミサイルをありったけ打ち込めば良いだけの話なのだ。それを現場指揮官の責任にするというのは実にむちゃくちゃだったが、「暗黒空域」がそれを担うとなると話は別だった。国家の英雄にして、最高の支持率を誇るシベリウスであれば人身御供にするにはちょうどよい――大統領府はそのように計算したのだ。
ったく!
シベリウスの舌打ちがコックピットに響く。
「リビュエ監視班、艦隊戦の様子をレポートしろ」
『リビュエ監視班より大佐。現在航空戦闘の真っ最中。数だけなら互角です』
「数だけならね」
艦隊に配備されている主力戦闘機はF106、F107だが、アーシュオンの主力攻撃機、FAF221には二歩も三歩も及ばない。それどころか、その一つ前の世代の攻撃機F/A201とも互角にやり合うので精一杯だ。シベリウスの見立てでは、パイロットの戦闘技術はアーシュオンのほうが一段上だ。
『大佐が現着したら空の色は変わりますよ』
「塗り潰すさ、真っ黒にな」
シベリウスは機械的に応じつつも、頭では別のことを考えている。
核が俺に引導を渡すかもしれんな。戦闘機乗りとして――。
だが、だとしたら後継者をどうする。誰が次のエウロスを担う? それが決まるまでは戦闘機を降りることはできない。エリオットもマクラレンは同世代だし、いまさらエウロスの隊長になんてなろうとするような人間たちではない。しかし、若いエウロス隊員たちも、もちろんスーパーエリート揃いではあったが、ずば抜けた才能の持ち主は見当たらない。
「後継者か……」
リビュエから送られてくる戦闘レポートを眺めながら、シベリウスは眉間に力を入れた。その時、彼の脳裏に赤毛の美女の姿が浮かんでくる。
カティ・メラルティン――。
そうだな。それも面白い。帰還したらエリオットたちに相談してみるか。アダムスの野郎の間抜け面が楽しみだぜ。
シベリウスはニヤリと笑みを作り、機体を加速させた。