事態は第三課の思惑通り、ということなのか?
異次元の手、エイドゥル・イスランシオは、赤とも茶色とも言い切れないガラスのように無機的な瞳で、目の前の空中投影ディスプレイを見つめている。無造作に伸びた黒茶色の頭髪と、日焼けとは全く無縁の青白い肌、背は高いがいっそ華奢と言っても良い体形のこの空軍大佐からは、どんな感情も読み取れない。
「推定死傷者数、三百万、か」
陸上に撃ち込まれた核兵器。それらは百万近い死者・行方不明者を生み出し、その数倍の怪我人、さらにその数倍の避難民を生み出した。イスランシオたち、ボレアス飛行隊の本拠地であるセプテントリオには直接的な被害こそ出ていなかったが、破壊された都市の残存部隊の一時受け入れなどを行う必要があり、事務方面の仕事が山ほど回ってきていた。
イスランシオは大本営発表を待たずして様々な情報を手に入れている。ヤーグベルテの首脳部は、核の炸裂を許してしまったビアリク、イルシア、メーゲン、アイボリックバーグの救助活動は行わない方針らしい。というのは、現在高濃度放射線を受けた当地には立ち入るのが困難だからだそうだ。確かに現状、対核装備を持った部隊の所在を明らかにするのは得策ではないとイスランシオは考えている。
また昨日の海戦で壊滅した第一、第二艦隊は、死者および行方不明者が四万六千にも達する。ヤーグベルテの誇る大艦隊だっただけに、その被害も甚大だ。大小合わせて空母八隻の喪失は、ヤーグベルテとしても痛撃に過ぎる。たった数時間の戦闘で、ヤーグベルテの海軍は一割もの人材を失ったことになる。弔慰金だけでも天文学的な金額になるだろう。
イスランシオは腕を組んで目を閉じる。
イスランシオの能力をもってしても、この一戦に関する有意義な情報を何一つ探せないのだ。これほど不可解な戦いでありながら、その背景資料が一つもない。それは確実に怪しい。怪しいのだが、何もない。オンラインからは完全に排除されていた。これは「怪しいことに気付け」という合図なのだろうかと、イスランシオは訝しむ。
イスランシオはコーヒーカップに手を伸ばして、それから心の中で舌打ちした。すでにカップは空だったからだ。イスランシオが再び腕を組んで沈思にふけろうかとしたそのタイミングを待っていたかのように、扉がノックされた。イスランシオが「入れ」と言うと、ドアの鍵が開いた。
「失礼します、大佐。コーヒーをお持ちしました」
「ありがとう、ヘレン」
「あら」
カップを取り替えながら、ヘレン――イスランシオの副官であるところのヘレーネ・アルゼンライヒ中尉は意外そうな顔をした。
「どうした?」
「私の名前を呼んでいただけたのは久しぶりだなと思って」
「そうだったか?」
イスランシオはコーヒーに早速口をつける。そして出ていこうとしたヘレーネを呼び止めて、ソファに座らせる。
「君の意見も聞きたい」
「アーシュオンがなぜ上陸してこなかったか、ですか?」
「参るな」
イスランシオはヘレーネの向かい側に腰をおろし、一瞬天井を見た。
「君は情報部にいた方がいいかもしれないな」
「大佐の下以外で働くくらいなら軍を辞めますよ」
ヘレーネは決して美女にカテゴライズはされないが、とても愛嬌のある顔をしている。よく動く表情もまた、イスランシオには魅力的に思えていた。艷やかな長い黒髪と、藍色の瞳、少し褐色の入った肌。イスランシオは、何よりもその理知的な瞳が好きだった。
「アーシュオンは少なくともこの四半世紀、島嶼部以外への上陸作戦を行ったことはありません。たった一度の例外を除いて」
「アイギス村虐殺事件、か」
「肯定です、大佐。あの事件以外、本土大陸への上陸は行われていません。そしてこの一度はアーシュオンによるものと断定すらされていませんし、不可解です。が、アーシュオンが本土上陸ができる状況にありながら試みさえしていないことには不自然さを感じます」
「アーシュオンはわざと戦争を長期化させようとしているという感じか?」
「肯定です」
ヘレーネは真剣な表情で頷いた。
「陰謀論者の主張と一部重なるのは癪ですが、事実として、アーシュオンには幾度もヤーグベルテを粉砕するチャンスがありましたよね。今回だって統合首都に核を落とせば終わった話です。が、アーシュオンはしなかった。それにそもそも、様々な政治的経済的な譲歩をヤーグベルテから引き出し、ベオリアスやキャグネイ同様に属国にすることすらできた」
「後ろ盾のエル・マークヴェリアが黙っていないのではないか?」
「いいえ」
明確に首を振るヘレーネ。イスランシオは意外そうな表情を見せる。
「あの国の存在もまた、戦争長期化のための道具とも言えるかもしれません。陰謀論者は存外正しいのかもしれませんよ、大佐」
「つまり、世界中がヤーグベルテをダシにして戦争継続を願っていると」
「肯定です」
「なるほど」
イスランシオは唸る。
「君の記憶力を試したいが、いいかい」
「自信はありますよ」
「アイギス村の唯一の生存者」
「カティ・メラルティン。ユーメラの士官学校からヤーグベルテ統合首都校へ移り、現時点では上級高等部所属にして、シベリウス大佐が超エース候補だと認めている人材」
スラスラと答えるヘレーネにイスランシオは苦笑する。
「君の頭の中はどうなっているんだ」
「大佐ほどではありませんよ。私、まだ地球人ですし」
「俺が地球人ではないと言っているように聞こえたが?」
「地球人だったんですか?」
「そのつもりだが」
「私の知る限り、シベリウス大佐、パウエル少佐、ルフェーブル中佐、そしてあの天才ブルクハルト中尉からも宇宙人と呼ばれていたはずですが。あの方々の明晰さを鑑みるに、その考察を偽というのは相当無理がある気がしますね」
「君って人は、本当に口の減らないタイプだな」
イスランシオは笑ってからコーヒーを一口飲んだ。そこでヘレーネは表情を少し厳しくした。
「ところで大佐。そのカティ・メラルティンの話とも関連するのですが、最近ネットにちらちらと見えているキーワードがあるんですが」
「うん?」
イスランシオは身構える。イスランシオもその言葉をフィルターに設定してあるほど注意していたのだが、今の今まで忘れていた。忘れているという状況が極めて不自然であるにも関わらず、イスランシオは確かに忘れていた。
ヘレーネはイスランシオを直視して頷いた。
「ゴーストナイト」
「ああ、やはりな」
イスランシオはそれだけ言い、腕を組む。ヘレーネはまた頷いて続けた。
「遡れば、似たような存在は紀元前よりもあると言います。ゴーストナイトという名称こそ変わっていますが、要は説明不可能な一連の怪現象を引き起こす存在という意味だそうです」
「漁村襲撃事件からこっち、そういうものは見当たらない気がするが」
「一連の、と申し上げました。もし、あのアイギス村襲撃事件から先日の謎の海中敵性体の存在まで……あるいはもっと先まで事象が続いているとしたら」
ヘレーネは至って真剣な表情をしていた。イスランシオは目を閉じて考える。腕を組み目を閉じるのは、イスランシオが思考する時の癖だ。ヘレーネはそういう時には声を掛けないと決めている。
しばらくの沈思黙考の末に、イスランシオは目を開ける。
「ヘレン、君の退役後の職業は決まったな」
「小説家になれ、なんて言わないですよね」
「……そう言おうと思っていた」
「大佐の伝記を書けと言うのなら喜んで」
ヘレーネはニコリと微笑んだ。イスランシオは微妙な表情を見せて肩を竦めてみせた。