05-1-1:超越者たちのダイアログ

本文-ヴェーラ編1

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 数十万の命が一瞬で蒸発し、その数倍の人間が負傷した。そして一ヶ月以上が過ぎた今も、その時の負傷が原因となって死んでいく人々が大勢いる。あの同時多発の核攻撃は、人類史上最大の単位時間あたりの死者数を生み出した。それは多くの人々の心を深く傷つけ、今やヤーグベルテ中央連盟という国家群は雲散霧消しかねない状況だった。どれほど情報統制を敷いたところで、もはや無意味だった。真偽いりみだれて好き勝手に発信される情報により、人々は自分たちが望む情報だけを集める習性を強めていった。

 中央政府は情報の抑圧は無意味と判断し、逆に大々的に大本営発表を行い、各マスコミ大手もそれに追従した。

 ――悪辣非道な国家群・アーシュオンに屈するわけには行かず、また、ただで済ますわけにはいかない。

 ――守護神の片翼であったエウロス飛行隊は敵前逃亡をした。その隊長であるは逆賊にも等しい。

 ――そのような状況であるにも関わらず、アーシュオンの新兵器に対抗しなくてはならない状態である。

 概ねこの三点が中央政府の誘導によって生み出された論調だった。高まりつつあった厭戦ムードは、核攻撃を受けたことによりすっかり終息し、代わりに挙国一致、国家総動員的な流れが生まれつつあった。軍の支持は上がった。エウロス飛行隊が凍結された事により浮いた予算がに注ぎ込まれ、また、上がった税金のほとんどが軍備に費やされる方向へと動き始めていた。

「かくして英雄は囚われる、か」

 ジョルジュ・ベルリオーズはバルムンクの真闇の中から、軟禁状態とされているシベリウスを眺めている。ベルリオーズにしてみれば、彼は政治ショーの犠牲者だった。歌姫計画セイレネス・シーケンスを一歩先に進めるための布石であると同時に、ヤーグベルテの一部の高官たちにとってはテラブレイク計画の推進のための猿芝居だ。歌姫計画セイレネス・シーケンスの推進派とテラブレイク計画の推進派は未だにシノギを削っている。

 バカな人たちだ。すべて僕の演出なのに。さも自分の頭で考えているのだと勘違いしているんだ。

「ね、そう思うだろう?」

 ベルリオーズは闇の中で目を細める。彼のすぐ目の前にの炎が現れた。その揺らぎは不安定にベルリオーズを照らす。

「そもそもテラブレイク計画なんて、僕の設計にはなかったんだけどね。君だろう、ツァトゥグァ」
『だとしたらどう思う?』

 が応じる。

「テラブレイク計画が、僕の創った歌姫計画セイレネス・シーケンスを出し抜くなんてことがあるとすれば、それはとても愉快だとは思う。けど、どうあっても、君はあの子たちを救うことはできないさ。響応統合構造体オーシュたるあの子たちより先に、テラブレイク計画の有象無象がアーシュオンを焼き尽くしたとしても、あの子たちが歌姫セイレーンであることに変わりはないし、僕の計画も変わりはしない」
『だとしても。あなたがそう言い続ける限り、あたしはあなたの反定立アンチテーゼであり続ける』
「君は最初から僕以外の人間に肩入れするために登場したんだと思っていたけど、違ったようだね、気紛れな獣の神の目的は」
『そう。あたしはあの子たちを、あなたが生み出した禁忌の子たちを救うためにこの世界に現れた』
「君の行為おこないは、逆にあの子たちを奈落ギンヌンガガプに導いているように見えるのだけど?」

 暗黒の中で、敵意しかない会話が続く。が揺れる。笑ったのだ。

『あの子たちは世界に望まれて生まれた子ではない。誰もあの子たちの誕生を望まなかった』
「だから君はあの子たちを助けようというのかい。人間に勝るとも劣らない慈愛だね」
『あたしにはこの感情を説明することができないわ。でも、感情を廃した物言いをするなら、あの次世代の知性体とも言えるはずのあの子たちを、愚昧陋劣な人間たちの最大公約数的ドグマで喪失させたくない、というところね』

 鋭利な鋼の刃の上に立っているかのような、極限の緊張感がそこにある。しかし、二人は互いに互いを圧し続けている。

「最大公約数的ドグマ、か。巧いことを言うね、ハルベルト・クライバー……だっけ?」
『あたしの役者としての名前ね、それは。あたしの本質はあくまでツァトゥグァよ』
「知ってるさ。もっとも、真実がどうかは知らないけれど」

 は揺らぎの姿のまま、一層に圧力を強めた。しかしベルリオーズは微動だにしない。左目を赤く輝かせて、面白そうにその睥睨へいげいしているのだ。

『ティルヴィングを与えられたあなたは、いったいこの世界をどうしたいというの、ジョルジュ・ベルリオーズ』
「そうだね、僕はこの世界の趨勢すうせいなんて、どうだっていいのさ。ただ知りたいんだよ、あのメフィストフェレスを気取る悪魔の真意を。あの、冥界奈落の女郎蜘蛛アトラク=ナクアとも呼ぶべき闇の女神の目的をね」
『ふぅん』

 は一つ相槌を打ち、そのの揺らぎを強めた。

『ナイアーラトテップ、インスマウス、ロイガー……。彼女は直接手を下してそれらの技術をこの世界に顕現させた。何を目的とするかは知らないけれど、とにかくこの世界の戦争の質を変えた。神による直接的な人類への関与。彼女、存外あなたに飽きたのかもしれないわよ?』
「ふむ。そういう考え方も可能性の一つとしてはあるね」

 ベルリオーズは声を出さずに笑う。

「もっとも、ゲフィオンを従えているのは彼女だし、そもそもセイレネスにしたって、彼女の齎した技術。もっと遡れば、このバルムンクを構築しているジークフリートだって、彼女が直接僕に手渡した技術だ。この世界はもとより彼女のものとも言えるね。だからこそ、僕は彼女を知りたいのさ」
『世界の真理を求めていると?』
「俗な言い方をするね。だけどあながち間違いでもない」

 ベルリオーズはわざとらしく口角を上げた。はとらえどころのない揺らぎを見せる。

「そしてそれゆえに、僕はで在り続けたいと思っている。ファウストでも、ましてやロキでもなく。僕の人類への働きかけそれ自体は、ジークフリートを生み出したところですべて終わっているんだよ、ツァトゥグァ」
『それは同時に始まりでもある。あなたはさいを投げた。その結末に責任を取ろうともしていないくせに、事態を動かした』

 は怒っているようにも見えた。ベルリオーズは今度は喉で笑う。

「不思議なのは君だよ、ツァトゥグァ。人間の一生、国家の歴史、そんなもの、君の意識においては素粒子のような小さな、取るに足りないものだろう?」
『素粒子よりちっぽけであることは確かね』
「それは誠に光栄」

 皮肉に皮肉で返すベルリオーズ。は声もなくふわりと姿を消した。

「やれやれ。神は短気だね」

 ベルリオーズの周囲に広がるのは闇。ひたすらの闇。

「ギャラルホルンの音はまだ聞こえてこないね。まだ舞台の幕が上がるまで、少し時間があるようだ。そうだろう?」

 ベルリオーズは虚空に向かって問いかける。そして頷いた。

「さぁ、機械仕掛けの世界に住まうすべての意識たち。僕に宙乗りの神デウス・エクス・マキナなんていう、興醒きょうざめでつまらない役を押し付けないでおくれよ。僕はあくまで観客の一人で有り続けたいんだ。最後の一人、のね」

 ベルリオーズは背後に現れたの気配を感じながら、わざとらしく大袈裟に、天を仰いだ。どこまでも続く晦冥かいめいの天を。

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