05-1-2:逃がし屋と潜水艦キラー

本文-ヴェーラ編1

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 西暦二〇八四年一月末――。

 参謀部第六課の手配により、海軍陸戦隊及び海兵隊、計二千名余りの兵士が、カティたちの所属する士官学校統合首都校に配置された。昨今のアーシュオンの猛攻に呼応した警戒態勢であると説明は受けていたものの、候補生たちは軒並み浮足立った。あの羽つき棺桶、F102イクシオンの配備もなし崩し的に実施され、上級高等部の三年、四年は日々離着陸訓練を実施していた。

『根回しの協力に感謝する、ルフェーブル中佐』
「なに、君がどうこうという話ではない、クロフォード中佐」

 参謀部第六課統括、エディット・ルフェーブル中佐は、執務室の壁に掛けられた巨大なモニタを眺めながら無愛想に言った。対話相手は第七艦隊に返り咲いたリチャード・クロフォード中佐である。クロフォードは艦隊幕僚の一人という地位でありながら、事実上の司令官である。彼は今、海の人となり、第七艦隊旗艦・航空母艦ヘスティアの通信指令室にいるようだ。

「ゴーストナイト、か。十二年も経ってから再び聞くハメになるとはな」

 ほとんど真っ暗と言ってもいいほどに照明を落とされた部屋の中で、ルフェーブルは眉間に右手をやった。黒い軍服から覗く手は、溶けた紫色の皮膚が凸凹に盛り上がっていた。そしてその顔も同様である。ほとんどくまなくケロイドに覆い尽くされた顔と、まばたきを忘れたかのように見開かれた目は、まるで凄惨な人形のようにも見えた。残っているように見える皮膚や豪奢な金髪も唇も、その大半が人工物である。その両目もまた、高性能義眼である。生きていく上で問題になる箇所は再建したが、それ以外はほとんど負傷した当時のままの姿だった。かつての美しさは残されてはいなかったが、それでもその凛と張り詰めた雰囲気や言行には、多くの部下や同僚が魅了されていた。もはや容姿で判断はつきにくかったが、年齢的には三十代半ばである。

『俺もイスランシオ大佐から情報が送られてきた時には仰天した。カティ・メラルティン。まさかアイギス村の虐殺事件の生き残りがあんなところにいるとはな、と』
「カティ・メラルティン、アイギス村襲撃事件、ゴーストナイト。私もまた無関係ではない。そして、ヴェーラ・グリエール、レベッカ・アーメリング、歌姫セイレーン。こちらにも私は無関係ではない、どころか、管理主幹だ」
『そして、アーシュオンの新兵器。ありとあらゆる困難なものが一極集中しているようにしか思えん。偶然と片付けるには、少々厳しいな』

 クロフォードが重々しく言う。ルフェーブルはその青銀色の目を暗視モードで淡く輝かせつつ、同意した。

「もっとも、何が起きようとも、私は歌姫セイレーンとあの村の生き残りの娘だけは必ず助ける」
『任務だからか?』
「否。私の矜持きょうじの問題だ」

 言い切るルフェーブルの姿は威厳に満ちている。クロフォードは「うむ」と相槌を打つ。

『アンドレアルフスの指先とも呼ばれる貴官のお手並みを拝見』
「アンドレアルフス、か」

 ルフェーブルは苦笑した。その火傷の後が凄絶な影を落とす。

 アンドレアルフスというのは美しい孔雀の姿をした神の名前だ。そう呼ばれるたびに、ルフェーブルは複雑な心境になる。かつて美しいと形容されていた自分への揶揄か、と。

『皮肉ではないさ、ルフェーブル中佐。アンドレアルフスは追い詰められた人間を鳥に変じさせ、その逃亡を助けた神でもある。この窮地に、貴官は存外、あの歌姫セイレーンたちの危機を救い、あまつさえヤーグベルテの希望の翼を生み出すことになるのかもしれんよ』
「買い被り過ぎだ、クロフォード中佐。私はせいぜい派手な色のトカゲの尻尾だ」

 ルフェーブルは冷たい微笑を見せて、腕を組み、そして足も組んだ。

「私が参謀部ここに来て八年になるが。なかなかどうして伏魔殿の闇は深いぞ、クロフォード中佐。貴官ならば嬉々として次々湧いてくる有象無象の政敵を駆除していきそうなものだが。どうだ、参謀部に来ないか? 敵対しない限りは歓迎するぞ」
『遠慮する』

 クロフォードは人懐こい苦笑を見せながら即答する。

『俺には俺の目的があるし、そのためには陸上おかにいるのは息苦しい』
「その目的とやらをお聞かせ願えないものかな? 参謀部としての戦略に影響する」
『ははは! 大義名分を振り翳せば、俺はますます意固地になるぞ』
「もちろん知っている。何にせよ、第七艦隊とは仲良くしておきたいという思いは本当だ」
『心から戦略的にね』
「そうだ、ビジネスだ」

 ルフェーブルは笑みを消して頷いた。そして右手で頬のケロイドを撫でて、ふと息を吐いた。

「だが、もし歌姫計画セイレネス・シーケンスに余計な横槍をいれるとあらば、私としては看過できん」
『心配無用だ、ルフェーブル中佐。俺は歌姫セイレーンたちをどうこうしようなどとは考えん。利用できるならもちろんするが、そのために不利益を背負わせたりはせんよ』
「今のところは、という注釈がつかないことを祈る」
『未来のことまでは保証しかねるな』

 クロフォードは意味深に言う。ルフェーブルはまた薄く微笑を見せる。

『さて、俺達が威嚇したり侃々諤々やりあったところで仕方あるまい。参謀部第六課統括からの直々の指示が、あのクラゲをどうにかしろっていうのだから、実に参っている』
「君の実績を鑑みてのことだ。消去法の末に君が残った。恨むなら周囲の凡才を恨むが良い」
『消去法ね』

 クロフォードは一瞬考え、首を振った。

『なるほど、俺はいきなり背水の陣か。しかし、俺は中佐だぞ。艦隊を好きにはできん』
「せめて大佐、いや、准将にでもなっていてくれればよかったのだが」
『俺の前に無能な上官サンドバッグを立たせるからだ。人事が悪い。反省を求めたい』
「おもしろい人だな、君は。いっそ君が海軍総司令官にでもなればいい。部下を殴れば即処分だからな」
『俺はトップには立たんよ。貴官らと同じ、裏で糸をひくほうが性に合っている』

 クロフォードはそう言うと、「それでは」と一方的に通信を切った。

 ルフェーブルは腕組みを解いて頬杖をついた。暗い部屋は防音処理もされているために、ほとんど無音だ。クロフォードとこれだけ長時間会話したのは初めてだったが、全く油断も隙もない男だ――ルフェーブルはそう分析していた。裏も表もない、言うならばあの男の全てが裏だ。どれが本音なのか、どの情報が真実なのかが読み取れない。今回のダイアログは双方ともに手札を読みあっただけだが、今後どうなることか。

 ルフェーブルは新たなとして、クロフォードを認識することにした。おそらくお互いに利用しあう関係にはなるだろうし、そうであるならば利用価値は高い。だが、決してと考えてはならないと、自らに言い聞かせる。

「ゴーストナイトに、カティ・メラルティン」

 あの赤毛の女の子は、当時八歳だったと記憶している。となれば、もう二十歳ということか。そして歌姫セイレーンの登場とほぼ時を同じくして、ユーメラの士官学校から統合首都校に籍を移している。これは偶然――いや、そんなはずはない。誰かの、何かの意図で、そうなっているのだ。調べてみても具体的な情報はない。そしてそれ自体が、ことの証左であった。だが、その手がかりは一つもない。

「でも、あの子、ちゃんと生きていたんだ」

 ルフェーブルは息を吐き、両目を指で押さえた。再建した目からは、感情による涙は出ない。しかし今は少し泣きたい気分だった。あの日、あの時。無数の生首に囲まれて倒れていた赤毛の少女を救い出したのは、駆けつけた海兵隊の部隊の中にいた、このルフェーブルその人だった。

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