05-1-3:十二年前の記憶

本文-ヴェーラ編1

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 ルフェーブルは士官学校高等部をわずか一年で卒業した。上級高等部には行かなかった。卒業とともに陸軍に配属されて四年、海兵隊に転籍して四年、一年間の療養期間を経て参謀部に移って早八年である。陸軍で陸戦を実地で学び、海兵隊で転戦することで陸海空連携を学び、そして参謀部である。参謀部の所属者は、その大半が前線を経験していない。その中でこの異色の経歴の持ち主であるルフェーブルは、ありとあらゆる組織に伝手つてがあり、有力な協力者も枚挙にいとまがないほどだった。敵も多いがその数倍の味方がいる、という表現がおそらく妥当だ。

 カティが暮らしていたアイギス村が襲撃されたのは、ルフェーブルが海兵隊に所属を移して間もない頃の話だ。陸軍での島嶼奪還作戦などで幾度もの陸戦を、凄惨な戦場を経験してきた彼女だが、あの村のありさまはそれらの経験値を一瞬で無意味なものにしてしまうほどに残酷なものだった。

 当時沖合で海戦が行われていたこともあり、ルフェーブルたちの小隊は陸路で村にアクセスし、強行偵察を図っていた。

「これは……」

 村の広場に至るまで、はいなかった。建築物は一つ残らず爆破されていた。飛び散った建材と肉片が視界のどこを切り取っても散乱している。年齢も性別も区別なく――いや、それすら判別できない状態で――散らばっていた。

「重機関銃か」

 ルフェーブルの同僚の軍曹が呻いている。夏の盛り、肉片はどれも腐敗し始めていた。火薬、腐敗臭、灰の臭い――ないまぜになったそれらが、甘くて苦い臭気を漂わせている。村人の多くはこの広場で殺戮された様子だ。五体満足な死体はない。いや、どの死体にもがなかった。幼児、はては赤子まで、丁寧に頭部を切り取られていた。

 一方的かつ残忍な殺戮。ルフェーブルの奥歯が鳴る。必死で噛み締めても、顎の振動が止まらない。夏の盛り、ギラギラと叩きつけてくる光の熱気に打ちのめされながら、ルフェーブルは全身が冷えているのを感じた。震えが止まらない。

「人間のすることじゃない」

 フラフラと広場を出たところで、ルフェーブルは言葉を失った。無数の生首が、彼女を見ていた。まるで彼女がそこに現れるのを知っていたかのように、物言わぬ死者の頭部が、濁った目で彼女を見ていた。

「うっ……」

 吐き気と怖気おぞけ。この世で最もおぞましい光景を目にしている――ルフェーブルはそう感じた。この世のを形にするとこうなるのだと、それらは彼女に語りかけている。

 しかし、ルフェーブルは必死に足を進めた。生首たちの向こうに何かあると直感したからだ。先程の軍曹と新人隊員二名がついてくるのがわかったが、ルフェーブルにはどうでもよかった。今はただ、そこに行くしかないと、打ちのめされた気力の中でそれだけを考えた。

 後ろで新人隊員が吐いているのがわかる。ルフェーブルも吐きそうだった。そんな彼女の背中を守る軍曹は何も言わない。

「!」

 ルフェーブルは生首たちを迂回して、そこに辿り着く。少女が一人眠っていた。白い肌、炎のような色の髪。彼女はほとんど無傷だった。心臓も動いている。生きている。

「衛生兵! 衛生兵!」

 ルフェーブルは赤毛の少女を抱きしめながら、力の限り叫んだ。

「大丈夫だ、もう大丈夫だ」

 そしてこの少女が、たった一人の生存者だった。

 しかし、この記憶は後から再建されたものだ。その作戦に従事する直前から終了後の二ヶ月間ばかり、ルフェーブルには記憶が残っていなかった。他の隊員たちもほとんど同様で、過半数がPTSDに起因する問題で軍を辞めた。

 ルフェーブルはその間も任務はこなしていたが、やはり本人の記憶は極めて曖昧だった。その時は。

 彼女の過去の記憶が今のように鮮明になったのは、海兵隊四年目の負傷による。ルフェーブルは至近に着弾した焼夷弾ナパームによって、両目、肺、全身の皮膚を失った。生存は絶望的と言われた状況から回復した彼女を待っていたのは、アイギス村の記憶のフラッシュバックだった。美貌を完全に喪ったことよりも、全身の痛みよりもなによりも、この記憶による殴打に苦しんだ。

 そしてPTSDだ。全身を炎に焼かれた彼女は、炎恐怖症にさいなまれた。当然、炎がダメな兵士が前線で戦えるはずもない。

「君には十分な手当が出る。一生療養生活することも可能だ。どうかね」

 病室に訪ねてきた上官の言葉に、ルフェーブルは一度は了承した。しかし、一日経たぬうちにそれを撤回する。

「理由は?」
「私はこんな馬鹿げた戦争を終わらせたいんです」
「君が?」
「あのアイギス村みたいな事件は、もう二度と起こしてはならないと思っています。私は確かに前線では戦えません、二度と。しかし」
「後方で役に立ちたいと?」
「肯定です、中佐」

 ルフェーブルはベッドサイドに座る上官を見つめる。

「わかったよ、大尉。君は前線をよく知る。君を知る者は多い。見舞いも、な」

 上官はルフェーブルのベッドの周りに並べられた見舞いの品や花々を見て肩を竦めた。

「参謀部。第六課にちょうど穴が空いている。君はうちの部隊でも十分に優秀だった」
「恐縮です、中佐」
「だが、参謀部はまた畑が違うぞ。君のその身体で耐えられるかはいささか心配だ」
「それは……」

 ルフェーブルはようやく手に入った高性能義眼で上官を見た。彼の心配はもっともで、ルフェーブルとしても不安ではあった。

「いえ、しかし、私にはまだできることがあると思います」
「わかった。参謀部にねじ込めるように動くが、あまり期待はしないでくれ」
「ありがとうございます」

 ルフェーブルは溶けて固まった右手の皮膚をじっと見て、小さく息を吐いた。上官はねぎらうような口調で言った。

「しかし、君はうちの隊の後方にいてもいいんだぞ」
「中佐、参謀部は四軍すべての上位組織です」
「君は本気なんだな。軍全体を動かすつもりだということか」
「はい」

 ルフェーブルは毅然として応じた。中佐は立ち上がると大きな窓の近くに移動する。

「戦争を終らせる。その方法とか可能性は訊かんよ、大尉。そんなものは誰も知らない。たとえ君が答えを持っていたとしても、私には答え合わせのすべがないからな」

 白いカーテン越しに差し込む光は初秋の陽光だ。

「なんだか不思議だよ、ルフェーブル大尉。君なら何かできるかもしれないと、私は感じてきている」
「中佐……」
「将来、買いかぶりすぎた、とは思わせないでくれるか」
「結果について保証はしません」

 ルフェーブルはただれて乾いた顔の皮膚に触れる。

「しかし、中佐」
「それ以上言う必要はない、大尉。君の心意気は理解した。能力も保証する。あとのことは私に任せておけ。そしてさらにその後のことは、君に任せる」
「……ありがとうございます」

 ルフェーブルは未だあまり自由の利かない右手で敬礼をする。上官もそれに短く応える。そしてそのまま、彼は病室を後にした。

 その後はルフェーブルの願ったとおりに進み、わずか五年で参謀部第六課の統括になり、そして三年――現在だ。

 アイギス村の事件については未だに闇の中。何もわかっていない。しかし、唯一の生き残りが、あの赤毛の少女が、今もなお生きていること。そして直ぐ近くにいること。それだけでもルフェーブルの荒れた心は凪いでいく。

 私は未だ、戦争を終わらせられていない。近付けてもいない。

 そんな無力さに打ちのめされ続ける日々に、もしかしたら一筋の光明がさしたのかもしれない。歌姫セイレーンの二人、そして、生き残った少女。その三人が今、自分の手の内にある――そのことにわずかなりとも運命的なものを感じずにはいられない。

 その時、ドアの前の人感センサが反応した。カメラモニタを見ると、リュシー・プルースト少尉が立っていた。呼び出しボタンを押す前に、ドアを開ける。プルーストは慣れた様子で室内に入ろうとして一瞬躊躇した。

「すまん」

 ルフェーブルは一言言って、天井灯の光度を上げた。ルフェーブルにとって快適な明るさというのは、常人には暗すぎるのだ。

「紅茶をお持ちしましたよ、中佐」
「気が利くな。……と、このカップか。君はこのカップの由来を?」
「いえ、ただ、ハーディ少佐が今日はこれを使えと」
「あいつめ」

 ルフェーブルは苦笑を見せる。その表情に、プルーストは少し驚く。ルフェーブルはめったに表情を崩さないからだ。

 紅茶を受け取ったルフェーブルは、口をつけるなり感想を言う。

「少し濃いな?」
「疲れが取れます。最近お疲れのようだったので」
「もっと働けということだな?」
「私もがんばりますから」

 プルーストは愛嬌のある茶褐色の瞳を細めて応じた。柔らかそうな焦げ茶の髪は、少し伸びてきていた。連日激務が続いていて、時間的にも気持ち的にも、髪を整える暇すらないのだ。ルフェーブルは首を振った。

「君に倒れられても困るんだが」
「中佐が倒れる方がもっと困りますよ」
「私はこうして時々サボっているからな、大丈夫だ」

 ルフェーブルはカップを掲げながら言う。プルーストはトレイを小脇に抱えながら少し顔をしかめる。

「私も早く一人前になって、中佐に認められたいところです」
「君は十分一人前だ。他の課ならな」

 ルフェーブルは目を細める。義眼が僅かに輝く。

 参謀部第六課の中枢人員のほとんどは、ルフェーブル自らが引き抜いてきた叩き上げ、生え抜きの人材で固められている。他課からしてみれば、明らかに不気味で異色な集団だった。このプルーストもまた異色だ。士官学校を出ておらず、いわゆる高卒で陸軍に入隊したのだが、そこで強行偵察部隊として、入隊からわずか二年の間にいくつもの戦功を立てた。彼の所属する部隊の負傷者数は他の強行偵察部隊と比較して圧倒的に少なかった。過酷な任務であろうが、ほとんど無傷で部隊は帰ってきていたのだ。

「君の視野の広さ、戦況予測に関しては我々は大いに当てにしている、今でもな」
「自分はたまたまあの部隊にいただけですよ、中佐」
「私が君を買い被ったみたいな言い方をしては欲しくないな」

 ルフェーブルは無機的に言う。プルーストは「失礼しました」と義務的に応じる。

「レーマンもハーディも、そして私も君をアテにしている。頼むぞ。紅茶もな」
「恐縮です。では」

 プルーストはきびすを返すとキビキビした動作で部屋を出ていった。

「まったく、女なら選び放題だろうに、あの子は」

 ルフェーブルは、プルーストが自分に好意を持っているのを知っている。年齢差は十以上あるが、それでもルフェーブルとしては悪い気はしない。しかし、彼女にはプルーストのことを異性としては見ることができなかった。そもそも、今や自分が女性であることすらどうでもよい気分だった。

「アンディが忠告したら諦めるかな?」

 ルフェーブルは意地の悪い笑みを見せて、ふとデスクに置いてあった自分の携帯端末モバイルに視線を落とした。その直後に、着信がある。

「噂をすれば」

 回線を開くと、デスク上にフェーン少佐の上半身が映し出された。ルフェーブルも「やれやれ」と言いながら映像通話に切り替える。

「ちょうど君からもらったカップで一服していたところだ」
『逆にストレスがたまるんじゃないか』

 気さくな様子でフェーンが言う。ルフェーブルも目を細める。

「おせっかい焼きのハーディがね、このカップを使えと言ったんだって」
『君はそっちの口調の方が良い』
「部下たちに示しがつかないじゃない。それに口調はオンオフ切り替えの役に立つのよ」
『違いないな』

 フェーンは頷いた。二人はかつての恋人同士だったが、その関係性はいつの間にか自然消滅していた。今でも互いに好きあってはいたが、それは男女のものではなく、敬愛とか尊敬とか、そのような類のものだった。つまるところ深い信頼関係である。

「それで、アンディ。デートのお誘い? 喜んでついていくけど?」
『残念ながらハズレだ』
「そっか」
『今回の一件が片付いたら花束でも贈るさ』
「花瓶を磨いて待ってるわ」

 ルフェーブルはフェーンと話す時だけは、昔の口調に自然と戻ることができる。フェーンもそれを知っているし、それが彼女の精神安定に寄与することも理解していたから、こうして時々連絡をするのだ。

『花瓶も贈ろうか?』
「それは間に合ってる。作戦指揮した部隊やその家族から山程送られてきてね」
『花瓶屋でも?』
「老後にね」

 ルフェーブルは軽口を返して、「それで?」と用件を問う。

『ヴァシリー・ジュバイルのことは覚えているか?』
「ジュバイル家の御曹司だな? だが最近、戦死したはずだが」
『そうだ。そしてそのを名乗る候補生がいるんだ。空軍候補生で、カティ・メラルティンに次ぐ腕を持つ天才なんだが。彼女はセプテントリオ工科大学の博士課程を出ていて』
「そんなのごろごろいるだろう、上級高等部なんだから」

 ルフェーブルは胸騒ぎを覚え始めている。彼女の記憶が確かなら、ジュバイル家はヴァシリーの他に女子が一人。しかし、その子はヴァシリー戦死のはるか以前に病死していたはずだ。

「アンディ、その妹を名乗る者は、何者かが?」
『常識的にはそうとしか思えないのだが。しかし、セプテントリオ工科大学では、間違いなく彼女、エレナ・ジュバイルが博士号を取得している。身分証明の類も完全にシロ……に見える』

 そんなバカなと、ルフェーブルは目の前の端末にいくつか指示を出す。が、そこに新たな情報は出てこない。それらが示すのは、ルフェーブルやフェーンのという事実だ。

『今はそれ以上はわからない。だが、この事態はおかしい。アーシュオンの動きと言い。君ももちろん感じてはいるだろうが』
「あの子、カティ・メラルティンが今そこにいることにも、私は運命的なものを感じてる」
『さしあたり君が送ってくれた二千名で、どうにかなることを祈る。歌姫セイレーンたちにも最大級の護衛はつけているが』
「参謀部内でも楽観論が強くて、それしか手配はできなかった。あるかないかもわからん襲撃に備えるにも限度があるってね」
『君の発言力でもそれなら、致し方ない。俺も確信があるわけじゃない』
「そうね」

 ルフェーブルは紅茶のカップを眺めてから、浮かび上がるフェーンの映像に再び視線を移す。

「何も起きないに越したことはないわね。それなら私が謝れば済む話だし」
『君のそういういさぎいところは、アダムスの野郎には十分に見習って欲しい』
「あいつに視姦されるなんてゾッとするわ」
『そうは言ってない』

 フェーンは真面目くさった顔でそう言うと、他愛もない会話を数分間交わして通話を終えた。

「戦争を終わらせたい、か――」

 大言壮語。誇大妄想。自信過剰。喝采願望。

 ――なんとでも言えばいい。

 そう思いながら、ルフェーブルは部屋の明るさを限界まで絞った。

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