クロフォードはようやく第七艦隊の現状を把握し終えた。ルフェーブルとの会話から三日ばかりが経過した頃だ。クロフォードが左遷されている間にも幾度も戦闘を経験した第七艦隊は、その顔ぶれの半分が入れ替わっていた。クロフォードがその場にいれば、死なずに済んだ将兵も数多かっただろう。数々の作戦記録を睨みつけながら、クロフォードはコーヒーを口にした。艦橋の窓の外は日没に燃えていた。金色と言うには明るすぎる夕焼けとその反射が、海と空を等しく照らし、揺らしていた。
クロフォードは現在、特務中佐の肩書とともに、事実上の第七艦隊司令官となっていた。ロバート・ブライス中将が名目上の司令官ではあったが、彼は参謀部の強い意向もあって、陸上の海軍総司令部で指揮を行うということになっていた。とはいえ、もともとブライス中将とは折り合いの悪いクロフォードが、陸上の彼の指示など聞くはずがないというのは参謀部全体の共通認識であった。
結果として、クロフォードは総戦闘艦艦艇数六十三隻、兵員一万八千名のトップに立つことになった。しかし、クロフォードの表情は晴れない。
「クラゲをどうにかしろってなぁ。まったく、逃がし屋め。無理難題にも程がある」
さすがはあのフェーン少佐の元恋人だけある。あのフェーンと付き合えるという時点で、油断ならないのだとわかってはいた。だが、彼女はクロフォードが思っていた以上の人物だった。正直、実際に一対一で会話をするまで、侮っていたと言っても良い。
クロフォードは頬杖をつきつつ目を閉じた。中佐としては若い方に属する彼でも、連日の徹夜にはかなり堪えていた。
「エディット・ルフェーブル中佐、か」
クロフォードは今一度その名前を唱える。歌姫計画の事実上の責任者でもある彼女を、さてどうするべきかと――クロフォードは思案する。利用価値と障害となる可能性を天秤にかける。しかし揺らぎが大きすぎて、今のところはまだ決められない。
「要注意人物なのは――」
「クロフォード司令、ブライス中将から通信が」
クロフォードのすぐ前に配置されている通信班の班長が声を上げる。クロフォードは渋面を作り言い放つ。
「放っておけ」
「しかしそれは」
「冗談だ。つないでくれ」
そう言うとすぐに初老の男が、艦橋中央にあるメインスクリーンに姿を見せた。
『クロフォード君、元気にやっておるかね』
「おかげさまで。それで何の用ですか。核兵器の使用許可ですか」
『さすがはクロフォード君だな。どこかからか情報でもリークされていたかね』
「中将閣下ほど耳が遠くなってはおりませんからな。私はまだ若いので」
クロフォードは嫌味に対して皮肉で応じた。ブライスは表情を引きつらせたが、一つ咳払いをするとまた元のいささか贅肉で緩んだ顔に戻った。
「して、中将閣下。先のアーシュオンの新兵器、通称・クラゲ。あれには艦隊が消滅するほどの核が撃ち込まれました。アーシュオンによって。しかし、撃沈は確認できておりません。第一艦隊と第二艦隊は、敵の性能テストに使われたんですよ。分析結果ではあらゆる現行兵器での対抗は不可能である、でしたか」
『そっちにはゼピュロス飛行隊を回す。予算と制空は気にせんで良い。よかったなぁ、特務中佐』
こいつ、俺の話を全スルーしたな? ……ぶん殴りたい。今度は顔面が変形するほどにぶん殴りたい。
クロフォードは髪を掻き上げながらブライスを睨む。碧眼の物騒な輝きがブライスを貫いたのだが、ブライスは気にもしていない。万に一つも殴られる可能性がないからだ。しかしおそらく、ルフェーブル中佐はこのことも見越していたのだろう。これ以上上官を殴られては、クロフォードをいつまでも正式に艦隊司令にはできないと。クロフォードはその物理的距離をとことん忌々しく感じる。
『それにな、クロフォード君。そのヘスティアには艦隊隠蔽能力がある。知っているだろう?』
「無論です。アンチリアルタイム索敵システムでしたか。艦隊全体を覆うほどの欺瞞情報を生成する」
『そうだ。それ故に第七艦隊は君の好きな不意打ちに磨きがかかっている』
「奇襲作戦と言っていただけませんかね」
『君のは作戦と言えんだろう。本能で襲いかかっているようにしか見えん』
「本能だろうが理性だろうがどっちでもいいんですがね、ブライス中将。理性を保って艦隊の半数を失うよりは、本能で圧勝できたほうが正義なんですよ。私より随分年上なのに、そんなこともわかりませんかね。それとも頭の中身が劣化したんですか?」
分かりやすい挑発に、ブライス中将は顔を紅潮させる。
『貴様、上官に対して何だ、その態度は』
「左遷ですか? また左遷させますか? ならばまたあなたはその居眠り上等な安全地帯から、この椅子に戻ってくることになるわけですが。さて、この艦隊にあなたが戻ってきたとして、誰が言うことを聞きますかねぇ? 仲間を半分も殺した無能提督の言うことをねぇ」
クロフォードはニヤニヤしながらそう言い放つ。ブライスが言い返そうと口を開いたその瞬間に、クロフォードは両手を打ち鳴らした。
「さて! 中央のぼんくらモグラたちが、この最新鋭空母、ヘスティアお嬢様ただ一隻で戦局が変わるなんて思ってないことを祈っていますが。さて、私の用件は済んだので、さよなら」
クロフォードはそう言うと、通信班に目配せして通話を終了させた。
「どうしたものか」
チリチリする不快感を、クロフォードは覚えていた。こうなってくると次に必ず何かが起きる。長年の戦の経験が、彼に何かを伝えようとしている。
まさにその時、通信班がざわついた。
「駆逐艦ケンタッキーより至急電! 情報、メインスクリーンに映します!」
「うむ」
クロフォードは頷きながら椅子に座り直し、表情を引き締めた。
『こちら、駆逐艦ケンタッキー艦長、ハーランド少佐です』
その時、クロフォードの指揮卓の上に地図とマーカーが表示された。
「南南東八十。この位置……潜水艦艦隊か」
『肯定です。音紋からしてクラゲ他、未確認物体のものはありません。既存の潜水艦だと思われます』
「ミサイルだ。ハーランド少佐、即刻その場を離れて本隊と――」
その直後、映像が消えた。駆逐艦ケンタッキーの反応がレーダーから消えている。険しい表情を見せるクロフォードに、索敵班が声をかける。
「海中より飛翔体、四! 迎撃に入りますか」
「いや、待て。本国には通達、急げ」
クロフォードは顎に手をやって考え込む。その時間は一秒にも満たないほどだった。
「輪形陣を組め。対艦ミサイルが来る! 南南東方向に警戒!」
『第七艦隊全艦艇、直ちに輪形陣をとれ! 南南東に弾幕展開用意!』
放送が艦隊に行き渡る。
「索敵班より、特務中佐! おびただしい数の対艦ミサイルです!」
輪形陣を取りつつあった駆逐艦や巡洋艦の反応が次々と消えていく。そのさなかに、四つの飛翔体はレーダーから消えた。速度と軌道から、それらが弾道ミサイルであることは疑いようがなかった。
「弾幕を展開! 対艦ミサイル迎撃の後に、直ちに攻撃を仕掛ける。ただで帰すな!」
クロフォードは今、猛烈な速度で敵の伏兵について計算している。どこにいてもおかしくはない。このミサイルの群れもそれをカムフラージュするものかもしれない。どうする、と。
「司令、参謀部第六課より通信です!」
「繋げ」
「アイ・サー!」
現れたのはクロフォードの予想とは違う女性だった。眼鏡をかけた、鋭角的なシルエットの女性将校である。
『第六課副統括、ハーディ少佐です』
ああ、声だけなら聞いたことがあるなとクロフォードは思う。その鋭く引き締まった、そして何を考えているのか読み取りにくい顔立ちに、クロフォードはスズメバチを連想する。獰猛な肉食昆虫のようだ、というのはクロフォードにとっては褒め言葉に属する表現だったが、さすがに今それを口にするのは自重した。
『作戦指揮はクロフォード中佐に一任致します。我々は情報のバックアップ等、必要に応じて対応します』
「そりゃまた。怒られないのか?」
『ご心配なく。こと、戦闘が始まった後のクロフォード中佐の指揮に関しては、我々が責任を取ることも吝かではありません』
ハーディは眼鏡に手をやりながら言う。レンズの向こうの茶褐色の視線が、クロフォードを鋭く貫いている。
「それはまた買っていただいたことで。それで、この状況で第六課ということは、ちょっとした問題があるんだな?」
『肯定です。ちょっとした、では済まない可能性はありますが。第七艦隊は可及的速やかにその海域の敵艦隊を殲滅あるいは撃退。然る後に統合首都の防衛に回っていただきたい』
「統合首都? ここからだと最速一週間だが?」
『最悪の場合、救援物資の輸送をお願いすることになります』
「……了解した」
クロフォードは暗く沈んだ夜空の中に、無数に浮かんでは消える火球の群れを見ながら頷いた。つまり、今クロフォードが把握している以上の危機が、統合首都に迫っているということだ。
「司令、対艦ミサイル迎撃完了。撃破された艦艇乗員の救助を開始しています」
「よろしい。では、こちらのターン開始といこう」
クロフォードはそう言って指揮卓を軽く叩いてから、メインスクリーンのハーディの顔を見上げた。
「ハーディ少佐、弾道ミサイルの方は」
『すでに緊急展開班が動いています。第七艦隊は――』
「可及的速やかに敵を撃滅して統合首都に駆けつけること」
『You copy?』
「I copy」
第六課に嫌われるのもつまらん。
クロフォードは次々と旗艦ヘスティアから発艦していく艦載機たちを見送りながら、心中独白した。