05-2-3:セプテントリオ

本文-ヴェーラ編1

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 ヤーグベルテ西方に広がる海域に佇む、ボレアス飛行隊所属の強襲航空母艦ベロスのCIC戦闘指揮所にて、イスランシオもまたシベリウスと同じ映像を見ていた。ユーレット市上空に出現した圧倒的戦力の姿を、である。イスランシオは高高度偵察機を撃滅して戻ってきた所で、未だ汗も引いていない。しかしそこに今、明らかに別の種類の汗がにじんできていた。

「どうなっているんだ、これは」

 イスランシオのその言葉に、CICで情報収集に当たっていたオペレータたちが動揺を見せる。イスランシオといえば、いつでも沈着冷静で感情を表に出さない人物だったからだ。そのイスランシオが今、明らかに衝撃を受けていた。

 イスランシオはといえば、いつもの無感情の仮面を被る余裕すらなく、ただ呆然とノトス飛行隊の超エースたちが殺されていくのを見つめていた。彼らほどの超技巧の持ち主がこうも容易たやすく――。

「通用していないのか」

 どういう原理なのかはわからない。敵機には確かに命中弾は出ている。だが、効いていないのだ。いくら機関砲が命中しても、ダメージに繋がっていない。ミサイルですら、だ。そんな非現実的な話があるかと思いかけたが、あのの防御力を思い出して踏みとどまる。

 手も足も出ないのも道理だが、じゃぁ、どうする。

 イスランシオは司令席に腰を下ろして腕を組む。その目は漠然とモニタを見ていた。

「大佐、ユーレット市上空の大型航空機に変化が!」
「具体的に言え」
「はっ。へ、変形しました。球体に。見てください」

 オペレータの指差す先には、が浮かんでいた。飛行原理の見当もつかないほど、完全な球体だ。それがあの大型のハリネズミのような弾幕を展開していた航空機の変形体だというのだ。しかも、数少ない地上からの対空砲火をこともなげに弾き返している。それどころか、何らかの打撃が地表に降り注いで、ますますの破壊の限りを尽くしていた。

「敵性大型球体、計八! 各個に進行方向ヴェクタを変更!」

 その声とともに、別のモニタに映し出された地図に八本の線が引かれていく。まるでビリヤードのように、きれいに弾かれたような軌道だった。そして敵の新型戦闘機たちは何処ともなく消えていた。

「消えた?」

 ステルスかもしれない。だが、それにしては神がかった消え方だった。映像からもレーダーからも忽然こつぜんと姿を消したのだ。残されたのは移動する球体のみ。迎撃に上がっている航空機も、事実上全滅しているようなありさまだった。

「大佐、敵性大型球体、加速を開始! 時速千三百、千四百……加速中!」
「続報です、大佐! 周辺空域に超大質量のを確認!」
「大質量ではわから――」
「推定出ました、一万二千トン!」

 何だそのジョークみたいな数値は!

 イスランシオはそう言いかけたが、言えなかった。モニタに映し出されている球体には、有無を言わせぬなにかがあった。物理法則さえ無視するほどの何かだ。

「球体、高度下げ始めました。落下予測地点、出ます!」

 その瞬間、列挙された都市名を見て、CICにいる全員が呼吸を忘れた。

 そのリストの中に、彼らボレアス飛行隊の本拠地であるセプテントリオ市の名前があったからだ。

「分析班! 奴らの破壊力を出せ! 落着時の被害予想!」

 イスランシオは彼らしからぬ早口で指示を出す。それはもはや怒号だった。

 その時すでに球体は時速二千キロ超、秒速にして560メートルという超高速で移動し始めていた。一万二千トンの質量体の超音速移動である。そこから生み出される衝撃波は生半可なまはんかなものではなく、その進路上にあるほとんど全ての建造物が吹き飛ばされた。大陸の東海岸から西海岸まで切り裂いた球体もある。

 そして陸軍、空軍を問わずにそれを阻止せんと動いたが、その全ては徒労に終わった。何一つ有効打も出せず、針路を変えさせることすら出来なかった。

「推定出力、八メガトン!」
「八メガ!?」

 誰もが息を飲む。かつてヤーグベルテに落とされ都市を焼いた原子爆弾がそれぞれ十五キロトンと二十一キロトンである。単位が一つ違うにも関わらず、当時の都市が消し飛んでいる。人類史上最大の威力を持つ皇帝爆弾ツァーリ・ボンバという五十メガトン級の爆弾も存在しないではなかったが、そのあまりの威力に実用性は皆無だと判断されたし、そもそもそれはあくまで権威の象徴であった。

 だが、今、現実に。八つの八メガトン級の爆弾がヤーグベルテの大都市めがけて向かっているのだ。

「敵性大型球体、初弾、レピア市に落下!」
「どうなった! 映像は!」

 間髪入れずにイスランシオが怒鳴る。怒鳴りながら、自分のコンソールで情報を収集し始めている。

「ゼピュロスからの映像出ます。論理回線経由につきデコードが追いついていませんが」
「構わん」

 その瞬間、空からの映像がモニタに映し出された。真夜中の大地が燃え盛っていた。まるで活火山の加工のように、巨大な穴が赫々かくかくと燃えていた。映像主によれば直径は十五キロ以上に及び、穴の外縁部似合ったものもほとんど残らず消えているとのことだった。

『放射線および粉塵の類は観測できない。火災の煙くらいだ』

 どういうことだ?

 イスランシオはゼピュロスの隊員のレポートを聞きながら考える。粉塵の類がないとはどういうことか。落着の衝撃で巻き上げられるはずの地表の物体はどうなっているのか。放射線がないとなると、アレは純粋な質量兵器だと言えるのか? いやしかし――。一瞬でそこまで考え、イスランシオは我に返った。

「セプテントリオはっ!」

 イスランシオが声を発した瞬間、CICには悲鳴のようなどよめきが生まれた。分析班の班長が立ち上がり、呆然とイスランシオを振り返る。

「どうなった」
「消滅、しました……」

 その言葉を受けて、イスランシオは自分のコンソールを操作して、セプテントリオ郊外に設置されているカメラの映像を呼び出した。その殆どは破損していたが、数台が戦火を免れていた。

 その映像は、先程見たレピア市の惨状とまるで同じだった。中心部からきれいに半球状に切り抜かれていた。

「半球状? いや、そんなはずは」

 真上から落着したのならわかる。だが、これは……。まるでその領域が相転移でもしてしまったかのようだ。その時の余剰エネルギーが周囲を薙ぎ払い、空間を焼いたというのならまだ理解できなくはない。しかしそんな兵器が存在するのか。していいのか。

 イスランシオは眉間に皺を寄せる。

 わからない。さっぱり、わからない。

 イスランシオは立ち上がる。胸が痛む。とてつもなく痛む。眩暈めまいがする。

「情報は逐一送ってくれ」

 そう言い残しCICを脱出すると、急ぎ足で自室へと移動する。薄暗い廊下、無機的な艦の内壁、低く垂れ込める重低音、微細な振動が、イスランシオの気分に追い打ちをかける。

 部屋に辿り着くなりイスランシオは自分の端末に取り付いた。一連の出来事は自動的に収集されている。その解析結果を確認し、「UNKNOWN」の文字を確認し、「UNDEFINED」の文字を確認し、肩を落とした。何一つ有用な情報ではない。つまり、今イスランシオが見ている範囲には、有用な情報は存在していないということだ。

「そうだ」

 ――ならば。あの男、ジョルジュ・ベルリオーズの領域ドメインになら。

 イスランシオは猛烈な勢いで作業を進めていく。イスランシオが前々から用意しておいた潜入口バックドアを経由して、アーシュオンの有力軍事企業アイスキュロス重工の重役のアカウントに潜入する。そしてそこから情報を辿り、系列企業のネットワークを次々と汚染しながら本命のラインに辿り着く。

「おかしい」

 イスランシオは手を止める。こんなにスムーズに侵入できるはずがない。あるべき抵抗もほとんどない。そもそも世界に名だたるアイスキュロス重工のネットワークがこんなに脆弱であるはずがない。

 罠か……?

『そうね。でも罠というより試験みたいなものね』

 突如背後から届く囁き声に、イスランシオは反射的に銃を抜いて振り返った。だが、誰もいない。誰もいないにも関わらず、目の前から女の艷やかな声が聞こえてくる。

『合格よ、エイドゥル・イスランシオ。でもその先は行かない方が良いわ、死ぬわよ』
「何者だ!」
『セプテントリオにあなたの大事な人でもいたのかしら? いつものあなたらしくもないわね?』

 まるで見知った顔でもあるかのように親しげに話しかけてくる女の声に、イスランシオは眉根を寄せる。

 ……?

 イスランシオの視界にほんのり見える、ほむらのように揺れる銀。

『そうそう。ヘレーネ・アルゼンライヒ。彼女の最期の言葉を聞いてきたのだけれど、聞きたい?』
「ヘレン……!?」

 イスランシオはカラカラに乾いた声を発する。そうだ。ヘレン。彼女は……。

 俺は頭がおかしくなったのかもしれない。そうだ、ヘレンが……。俺は……。

 混乱するイスランシオは、しかしその一方でそのを意識に残し続ける。

『あなたは正常よ。問題ないのよ』

 その声と共に、イスランシオの前に銀髪の美女が現れる。銀髪で美女、なのだが、イスランシオにはそれ以上の認識ができない。顔貌も肌の色も意識に残せないのだ。まるでその情報を受容することを、彼自身の脳が拒否しているかのように。

『むしろこの世界のほうが異常なのよ、イスランシオ』
「どういうことだ」
『ヘレーネ・アルゼンライヒに頼まれているの。最期の言葉を伝えてって。聞きたい?』
「……ああ」

 イスランシオは観念して額に手をやった。を視界から追い出そうとするかのように。

「その前に、貴様は、何なんだ」
『その問いは、さながら哲学ね』
「禅問答をするつもりはない」

 イスランシオは銃を抜く。はゆらゆらと揺れ、イスランシオの意識を乱す。

『アトラク=ナクア。そんな呼び名に意味なんてないけど、私は気に入っているわ』
「アトラク=ナクア?」
『そう、アトラク=ナクア。それじゃ、私のから彼女の遺言テスタメントを再生するわ』

 はパチンと指を鳴らした。すると、イスランシオの端末のモニタに、床にへたり込んだヘレーネの姿が映し出された。私服姿、そばにはベッド――つまりここは彼女の自室だ。

「ヘレン!」

 その映像はごく短いものだった。ヘレーネの姿が一瞬見えたと思ったら光に飲まれ、その中で彼女は蒸発してしまった。後に残されたのは瓦礫の山だった。人がいた痕跡すら残っていなかった。

『彼女ね、最期にさよならって言っていたわ』

 その言葉はイスランシオの脳内でむなしく跳ね回る。

『彼女の遺言テスタメント。その全てを聞きたいなら、あなたもにいらっしゃい? あなたほどの異能を終わらせてしまうのは、あまりにも面白くないわ』

 はそう言い残すと存在を消した。

 イスランシオはややしばらく暗転したモニタを呆然と見つめていた。数分が経過して、ようやくイスランシオは我を取り戻して首を振った。

「俺はいったい、どうしちまったっていうんだ」

 この気持ちの悪い感触は、なんだ。

 記憶を這い回るような、意識をじりじりと汚染するような、このぬめるような感覚は、なんだ。

 それに、

 何が起き始めているんだ、この世界で。

 いったい何が蠢いているんだ、この世界で。

 頭の中が響動どよむ。意識がくらむほど。

 頭を抱えて耐えているうちに、イスランシオは気を失った。

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