07-1-2:1655時

本文-ヴェーラ編1

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 カティ、ヨーン、エレナの三人は、連れ立って食堂の方へと向かっていた。その途上で電話やネットが繋がらなくなり、周囲が騒然とし始める。カティもヴェーラたちに連絡をしようとしてそれに気が付いた。知らぬ間に周囲に人の流れが生まれ始め、随所に立っていた軍人たちが慌ただしく動き始めた。

「お前たち、避難経路はこっちだ」

 声をかけてきたのは陸軍中尉だった。彼はすでに軽甲冑ライトアーマーを展開していた。それだけで今すでに異常な事態が発生していることがわかる。

「何が起きているんですか」
「非常事態だ。いいから経路に従って移動しろ」

 有無を言わせぬ口調で中尉は言い、カティたちは仕方なくぞろぞろと並んで歩いている候補生たちの後ろにつく。

 しかし、ここからなら数分経たずに外に出られるはずだ。

 そんな観測をしたその瞬間、カティは後ろを振り返って、ヨーンとエレナの肩を押さえつけた。三人の体勢が少し低くなったのを見計らって、屋外で激しい銃撃音が響いた。同時に窓ガラスが次々と粉砕されていく。カティたちはそのまま身を伏せ、鉛玉の暴風が過ぎ去るのを待った。

 周囲は砕けたガラスと悲鳴、そしてうめき声で覆い尽くされていた。恐る恐る身を起こしたカティたちは、身の毛もよだつ地獄絵図を目にする。腕や足がちぎれ飛んでいた。粉砕された頭部から激しく内容物を撒き散らされていた。床と言わず、壁と言わず、天井と言わず、血と肉片がこびりついていた。猛烈な悪臭がカティたちの脳を揺らす。

「カティ、気をしっかり持って」

 へたりこんで呆然自失に陥っているカティの肩に、ヨーンが触れる。カティは十二年前のあの虐殺事件のフラッシュバックにやられかけていた。霞がかかったような記憶だったが、重機関銃の音は明瞭に思い出せる。今まさに屋外で聞こえているそれ。まるで同じ音の波長。吐き気を催す懐かしさに塗れた音だ。

「大丈夫だ、大丈夫」

 カティはヨーンの手に触れ、周囲を素早く見回した。まだ息のある候補生たちもいたが――。

「今の僕たちに助けられる状態じゃない」
「止血くらいはできるんじゃない?」

 伏せた状態のままでエレナが言うが、ヨーンは首を振る。

「この銃撃が続く限り、僕たちすら生き残るのは難しい。今は彼らに構っていられる状況じゃない」
「だけど――」

 不満げなエレナの右手をカティが握る。そして「行くぞ」と短く言った。エレナは固い表情のまま尋ねる。

「行くってどこに? どこが安全? さっきの中尉さんも見当たらないし」
「食堂にヴェーラたちがいるかも」

 カティは言ったが、それはヨーンに却下された。

「食堂方面はもう避難しているに違いないよ。特にヴェーラたちは最優先防衛目標だ。だから今行ったところで何もない」
「じゃぁ、どうしろって」
「飛行場、かな」

 ヨーンはほとんど間髪置かずに答えた。直後、彼らの直ぐ側の窓ガラスが粉砕された。グレネードの類が窓の外で炸裂したのだ。幸いにしてカティたちにはほとんど怪我はなかったが、さっきの銃撃で負傷していた候補生たちの多くは、それによってとどめを刺されていた。

「ちくしょう」

 カティは声を喉の奥から絞り出す。故郷の村の記憶が、カティの思考を明らかに鈍らせている。絶え間ない銃撃音、炸裂音。その類のBGMに、悲鳴や怒号が入り込んでいる。

 ちくしょう!

 カティは再び心の中で吐き捨てる。思考は鈍っている。だが、今は感覚が鋭敏だった。周囲の音や空気の流れがはっきりと知覚できる。殺気を感じるのだ。今、自分たちを狙っている意識。明確な悪意。そういうものが突き刺さってくる。

 カティはヨーンとエレナを強引に立たせると、全力で床を蹴った。ヨーンたちは驚いていたが、それを声に出すことは出来なかった。それまで三人がいた場所を銃弾が薙ぎ払っていたからだ。壁も床も、大きくえぐられ、粉砕された建材たちが煙のように立ち上っていた。カティの行動が一瞬遅かったら、ヨーンたちはただでは済まされなかったところだった。

 カティたちはそのまま廊下を走り抜け、階段室へと駆け込もうとする。その時、近くでピッチの高い銃声が響いた。その少し前には女性の悲鳴が微かに聞こえていたが、銃声が鳴り終わるのと同時にそれも途絶えた。銃声は遠くない。一分二分の距離だ。

「校舎内にも入り込んでるのか」

 ヨーンが呻く。その途端、階段室の扉が開いて、中から見知った顔の候補生たちが十名ほど現れた。二名が負傷していて、一人は意識がもうなかった。彼らは急ぎ足でカティたちが今やって来た方向へと進んでいく。避難経路に従う――ということだろう。

「私たちそっちから来たの。狙い撃ちにされるわ」
「だったら今は安全かもしれないだろ」

 一人が言い返し、そのまま彼らは行ってしまう。エレナは追いかけようとしたが、ヨーンに止められた。

「彼らは目立ちすぎる。一緒に行動したら一網打尽だ」
「見捨てるの!?」
「今は僕たち自身のことだけ考えるべきだ」

 ヨーンの冷静な口調を受けて、エレナも口を閉じた。カティは階段室を伺って、頷く。

「こっちから空中回廊を渡って、研究棟に行く。そこの出口から出れば飛行場に着ける」
「だね、それが今の最適解だ」

 ヨーンはカティに賛同し、三人は二階へと移動する。二階の扉を開けると、そこには十名ほどの陸軍兵士がいた。バリケードを作って廊下の一方、図書室と反対側の方をガッチリと固めている。しかし、これで空中回廊に最短では辿り着けない。

「ここは危険だ。下に降りるか後ろへ行け」

 陸軍中尉が鋭い声で命令する。カティたちは戸惑いながらもバリケードとは反対側の方へと向かうことを選択する。空中回廊は二箇所ある。かなりの遠回りにはなるが、ルートとしてなくはない。

「今、どんな状況なんですか?」

 ヨーンが早口で尋ねると、陸軍中尉は「一個大隊はやられている」と短く応じた。その被害の大きさにカティたちは一様に絶望的な表情を見せた。

「早く行け! こっちも後がない」

 陸軍中尉の迫力に押されて、カティたちは走る。すぐ後ろで鈍く高い金属音が鳴る。

 ガトリング――!

 カティはその音にも聞き覚えがあった。村を薙ぎ払った銃撃音、その前に鳴っていたかすかな駆動音。

「ヨーン、エレナ! そこに!」

 カティはすぐ左側にあった大教室に飛び込んだ。ヨーンとエレナも後に続く。部屋の中は凄惨だった。何人もの候補生や兵士が、半ば挽肉ひきにくと化していた。床は元の色が見えないほどに赤く湿っていて、生ぬるい鼻をつく臭いが満ちている。

 その光景に呆然とさせられたのは一瞬だった。その直後に悲鳴と怒号、そして銃撃音が響き渡ったからだ。暴風と形容するのが相応しいほどの音と風圧が大教室内にいたカティたちを襲う。大口径のガトリングガンが、先程の陸軍中尉たちの部隊を消し飛ばしたのだ。床を滑るようにして、腕が一本飛んでいった。

「ないよりマシか」

 ヨーンは死体の山の中から、アサルトライフルを掘り起こした。それには肉片や血液がべっとりと付着していたが、カティたちは無言でそれを受け取った。

「カティ、だいじょうぶ?」

 エレナが震えるカティの右手にそっと触れる。カティはどうとも応えることができなかった。

 どうやってもアイギス村の光景が蘇ってくる。あの恐怖と絶望の時間がカティの中で映像化されていく。息が吐けない。胸が痛む。頭痛もしてくる。

「カティ」

 ヨーンがカティの肩に手を置いた。

「僕たちは君の二番機、三番機だ。君が先を行かなければ、僕たちは無駄死にする」
「……あ、足がすくんでる。動けない」

 カティは震える声で訴える。ヨーンはカティの頬に触れる。

「僕たちだけじゃない。たくさんの仲間たちの死も無駄になる」
「そんなこと言われたって!」

 カティは掠れた声で応じる。だが、ヨーンはカティの手にしたアサルトライフルを軽く叩き、頷く。

「敵は一人や二人じゃない。戦うんだ、カティ。そして、飛ぼう」
「飛ぶ……」

 カティはその言葉を聞いて、何かがカチリと脳内で音を立てたのを感じた。そこで響いたのがエレナの舌打ちだ。

「来たわよ!」

 エレナのアサルトライフルが火を噴いた。しかし5.56mmの弾丸は、その戦闘用重甲冑コンバットアーマーには通じない。幾らかは突き刺さっていたが、貫通には至っていない。黒尽くめの兵士は人間離れした巨体の持ち主だった。その手には――。

「火炎放射器!」

 カティは目を閉じ耳を塞ぎたい衝動に駆られる。だが、その紺色の瞳は、まっすぐにその黒尽くめの兵士を睨んでいた。

 火炎放射器ならまだ……!

 カティは兵士が背負った燃焼剤のタンクに目をつける。ここから狙うのは至難だ。

 どうする、どうしたらいい!?

 火炎放射器の銃口がカティたちに向けられる。その筒先で揺れる炎に、カティの意識がまた持っていかれそうになる。

『ミスティルテイン……』

 人間の声とは思えないほどに、低く歪んだ声。生理的嫌悪感と本能的恐怖心を同時に励起れいきさせられるような、地獄の底から響くような声。

「カティ!」

 ヨーンが前に出る。そこにエレナも並ぶ。

「……!?」

 そんなことをしても、無駄だ!

 カティは声にならない声でそう叫ぶ。しかしヨーンたちは振り返らない。そして、二人は同時にアサルトライフルの引き金を引いた。

 銃声が幾重にも重なり合った。

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