「俺の誕生日は、もう忘れてくれていい」
アンドレアス・フェーンは、士官学校(ヤーグベルテ統合首都校)の海軍教練代表主任である。元参謀部で、どういう紆余曲折があったのかはともかく、現在は憲兵に籍を置いている。
憲兵なのに海軍士官候補生たちの教官の長を務めているのはいかがなものかという意見は軍内外からあったようだが、軍・政府ともに「歌姫計画」を進めるために秘密裏に進めた人事であったため、関係者の誰もがそういった意見をスルーした。フェーンが憲兵隊の有力者であったことも軍の反対意見を萎縮させるのにも役立った。少佐であるフェーンだが、憲兵隊という特殊な地位にあり、将官すら逮捕する権限を持っているということから、誰も大手を振って意見はできなかったようでもある。
彼は歌姫であるヴェーラおよびレベッカの最初の管理責任者であり、「歌姫計画」の現場責任者の一人でもある。2084年の士官学校襲撃事件の後、彼の任務を引き継ぐことになるのが参謀部第六課であり、その統括、エディット・ルフェーブルである。
ヴェーラ、レベッカの「セイレネス実証実験」を円滑に進めるために、フェーンは彼女らと仲の良かったカティに目をつける。きっかけは、ヴェーラたちが「セイレネス・シミュレータとかいう得体のしれないものにのるなら、カティと一緒がいい」というように駄々をこねたところにあるが。カティはその経緯を説明されて、すぐに納得して実験を共にすることを選んだ。
カティによると、フェーンの印象というのは以下のようなものであった。
短く刈り込んだ金髪と、鷹のような明茶の瞳をした精悍な印象だ。その猛禽類を思わせるような目つきと、無駄のない所作は、さながらカミソリの刃だった。
おまけに、185センチを間違いなく超える(つまりカティより大きい)巨躯の持ち主で、まるで屈強の格闘家を思わせた、とのこと。無口にして無愛想、基本的には無表情であることも相俟って、とにかく威圧感が半端ではない男である。
……のだが、実際のところはヴェーラやレベッカにはとても信頼されている(ある意味では懐かれている)。ヴェーラいわく「見た目はすごく怖いけど、いい人」とのこと。感受性、観察力に優れたヴェーラがそういうのだから、そうに違いない。
知性においてダントツに優れているヴェーラとレベッカが信頼を置くほど、非常に話の分かる柔軟な思考回路の持ち主である。無口で無愛想なのは素ではあるが、必要なことは喋るし、コミュニケーション自体もヘタではない。憲兵であり、かつ、有力者でもあるわけだから、当然ネゴシエーションの類も得意である。武闘派に見えて知性派であると言えるだろう。
また、もしフェーン以外がヴェーラたちの管理責任者ではなかった場合、「セイレネス・システム」の初期調整は難航したかもしれないという評価もある。軍上層部も良い人事をしたということができ、これはつまり、「軍」の中にも辣腕を振るう人材が少なくないということを表している。上層部ほど堕落する印象はあるが、ヤーグベルテの軍人は基本的に合理的かつ優秀であると言える。その中でもたとえばフェーン、クロフォード、ルフェーブルといった異能者が際立って目立ち、相対的に軍全体の質が低く見えるのだと言っても良いかもしれない。
また、「異次元の手」エイドゥル・イスランシオ、「暗黒空域」カレヴィ・シベリウスら空軍の有力者でもフェーンのことは知っており、そのことからもかなりの有名人に属することがわかる。また、彼らもフェーンが「憲兵」である意外に悪印象は持っていないようである。フェーンが憲兵としてどんな活躍をしてきたかはともかく、明らかに卑劣な手段を使う男……という情報はイスランシオの電子諜報能力をもってしても見つからなかったようである。
彼がかつては参謀部だったということは前述の通りだが、その際には参謀部第六課に所属していた。2084年当時ですでに統括の地位に上り詰めているエディット・ルフェーブルとは同僚であり、当時は階級も一緒だった。「撤退戦」を研究していたエディットを支え、その方法論を築き上げる大いなる助力をしたのが、このフェーンである。フェーンは常にエディットを支え、いつしか信頼できるパートナーになっていった。
なお、2071年のカティのいた村=アイギス村の襲撃事件に言及する場面もあることから、その時点では陸軍に所属し、その時点からエディットとは顔見知りだった可能性もある。この時点ではまだであっても、2073年~4年頃にエディットが顔を失うほどの負傷をしているのだが、その時に彼女を叱咤したということをエディットが言っている。この後エディットは一度軍を辞め、その後参謀部として復帰していることから、フェーンもまた同時期に第六課に転属したと思われる。
その後、二人は恋人となり、婚約するにも至るが、なぜか破局……したのだが、極めて親しい友人としての関係は続けられており、度々連絡を取り合ってはとりとめもない会話やジョークを言い合っていた。二人が婚約を破棄したことは周知の事実となってはいたが、その後も「恋人として付き合っているのと変わらない」とみなされていた。また、この点については当人たちも否定はしていない。
なお、前述の経緯を考えると二人が付き合い始めてから士官学校襲撃事件で関係性が強制終了されるまで、約十年に渡って付き合いが続いていたことになる。
第一部のキーとなる男、「ヴァシリー・ジュバイル」のかつての友人でもある。そしてそうであるからこそ、彼の「妹」であるエレナ・ジュバイルを通じて「士官学校襲撃」を予見できた。そして彼がエディットと親しかったからこそ、数千名の兵士を手配することができた。それは結果として兵士たちの全滅という大きすぎる人的被害を招いてしまったのだが、カティたちが生き残る時間を稼げたという点では高く評価されるべきだろう。
また、彼がジョンソン、タガート両名にヴェーラたちの護衛を任せ、彼自身が時間を稼がなければ、やはり歌姫計画は頓挫せざるを得なかっただろうし、カティも助からなかっただろう。
そして彼の壮絶な戦死はエディットの胸に大きな穴を開けることとなった。……のだが、それがあったために、エディットはその持てる全ての愛情をヴェーラたちに注ぐことになるとも言える。フェーンの死が、エディットが本気でヴェーラたちにぶつかっていくためのエネルギーになったともいえるかもしれない。