二〇八二年十月に、ヴェーラたちは揃って士官学校上級高等部へと進むこととなった。上級高等部は大学に相当しており、順当にいけば四年で卒業し、少尉として軍に配属されることとなっている。士官学校高等部から上級高等部へ進むには選抜試験をパスしなければならず、そこで七割が脱落するようになっている。高等部卒からの軍配属でも准尉の階級が与えられるが軍人としての出世街道からはその時点で脱落――ということになる。逆に、上級高等部を無事に卒業できさえすれば、その後のキャリアは安泰と言っても良かった。
ヴェーラとレベッカも受験していたが、二人は下馬評通り難なく合格していた。二人は身体能力も極めて高かったのだ。カティもまた、日々の努力に加え、ヴェーラたちによる特訓を受けた甲斐もあって合格することができた。身体能力に関しては、男女問わず全受験者中文句なしのトップという成績でもあった。
オンラインで合格発表を確認するや否や、カティはヴェーラたちに連絡をとって敷地内の喫茶店で待ち合わせした。
「珍しいね、カティから連絡くれるなんて」
ヴェーラはカティの左腕に右腕を絡ませて、喫茶店へと入っていく。レベッカはその後ろをついてきた。広いとは言えない喫茶店だったが、今日は客が誰もいなかった。貸し切りである。
「合格は合格だから。学科は二人のおかげでパスできたようなものだし」
カティは窓際の席を確保すると、二人を向かい側の席に座らせた。そして注文端末でガトーショコラを二つ注文した。
「飲み物は紅茶でいいのか？」
「うぃ」
ヴェーラは頷く。レベッカも「お願いします」と応える。カティは自分のコーヒーも合わせて追加注文を行った。合計支払額を見て一瞬「うっ」となったカティだったが、その呻きはなんとか飲み下す。カティは基本的に貧乏なのだ。というのも、紙媒体の書籍を衝動買いする癖があるからだ。とにかく見たことがない紙媒体の書籍を見ると手に入れたくなって仕方がなくなる。電子書籍に比べると基本的に割高だったから、あっという間に予算オーバーするという次第である。
「うまー！」
給仕ロボットがケーキと飲み物を運んでくるなり、ヴェーラはガトーショコラ攻略に取り掛かる。レベッカが「行儀が悪い」と嗜めるが、ヴェーラはどこ吹く風である。
「でもさー、わたしたち、カティが落ちるなんてそもそも考えてなかったよね」
「そうね」
レベッカは紅茶にスティックシュガーを三本放り込みながら頷いた。カティは首を振る。
「試験の成績だけじゃないさ。二人がいるからがんばれたんだ」
「そうかぁ」
ヴェーラはそう言いつつ、レベッカの口の端についていたケーキの欠片を指で摘みとり、自分の口に入れた。驚くレベッカとドヤ顔のヴェーラを見ながら、カティは微笑う。
「でもここからだよね、カティの四風飛行隊への道はさ」
「四風飛行隊は超エース部隊だからなぁ」
カティはコーヒーを飲みつつ言う。インスタントではないコーヒーを久々に飲んで、少し感動していたりもする。そんなカティにレベッカが顔を向ける。
「カティには偉くなってもらわないと困りますからね、私たち」
「出世欲はないんだが――」
カティが言いかけたところにヴェーラが身を乗り出した。
「偉くなって。おねがい。わたしたちのために偉くなってよ」
「……善処する」
カティはそう言ったが、実際のところカティにも四風飛行隊への憧れのようなものは生まれていた。戦闘機の飛行士を目指しているのだ。当然、その中の最高峰であるところの四風飛行隊への入隊というのも目標に入ってくる。
「わたしたちもめっちゃくちゃ忙しくなるよって、ブルクハルト教官が笑顔で言ってくれちゃったりしてて、正直戦々恐々ってやつなんだけど」
「教官の笑顔は怖いわよね」
レベッカが神妙に言う。カティは乾いた笑いを漏らす。ブルクハルト教官は確かに恐ろしい人だ。彼は他人の許容量にはとことん無頓着で、自分に出来ることは他人にも出来ると思っているフシがある。ブルクハルト教官は恐ろしく仕事のできる人間だったから、なおさら性質が悪かった。ヴェーラやレベッカすら、彼から与えられる課題に恐怖しているのだ。もちろん、カティは何度もへこたれかけている。
「ブルクハルト教官ってさ」
カティはカップを置いて腕を組む。
「もしかして士官学校で一番強敵じゃないか？」
「もしかしなくても最強だよ」
ヴェーラは唇を尖らせる。
「でも、めちゃめちゃいい人なのが困るんだよ。あれで性格がスパイラルだったりしてくれたら悪口いっぱい並べられるのに」
「それには私も同意するわ」
レベッカは肩を竦めた。カティも「だなぁ」と同意し、言う。
「完璧人間ってのは教官のことなのかもな」
「あ、そうだ！」
ヴェーラが紅茶を飲み干して、空色の瞳でカティを見る。
「教官の部屋に航空力学の本が置いてあった。今度読んでおくよ」
「航空力学？ お前たち使わないだろ？」
「読んで理解したら、カティに家庭教師する理由ができるじゃん？」
「ヴェーラ、名案！」
「ふふんー」
二人で盛り上がっているのを見て、カティは目を瞬かせる。
「お前たちの勉強は？」
「ぶっちゃけ死ぬほどある！」
ヴェーラは腕を組んだ。カティは「なら」と言いかけたが、レベッカが止める。
「気分転換に読むので大丈夫ですよ、カティ」
「気分転換で航空力学って、お前たちは……」
つくづく天才だなと思うカティである。二人にはほとんど余暇がない状態だと聞いている。こうしてカティと会える機会も減っていくだろうとも。だからこそ二人は、家庭教師という名目でカティに会う理由を作ろうとしている。
「無理はないのか？」
「ないない」
ヴェーラはケラケラと笑う。レベッカも眼鏡のレンズを光らせながら「問題ありません」と明言した。
「私たちにとって、カティとこうしてデートできるのが何よりのご褒美なんです」
「デ、デート？」
「ですよ、カティ」
レベッカはニコリと微笑む。カティは若干挙動不審になりながら、言葉を探す。ヴェーラがまた笑う。
「カティに彼氏ができるまでは、カティはわたしたちのものだもん」
「か、彼氏？」
「モテるでしょー、カティはさぁ」
「モテない！」
カティはややムキになって応じる。ヴェーラは「こほん」とわざとらしく咳払いをして、携帯端末を取り出した。
「わたしのリサーチによると、カティさんは士官学校トップクラスの人気を誇っておりますよ。主に女子から」
「女子……」
カティはやや複雑な表情を見せる。ヴェーラはなぜかやや得意げな顔をする。
「男子はですね、その女子たちによって圧力をかけられているので、カティに近づけない様子ですよ」
「なんだそれ」
カティは右の口角を上げる。そしてコーヒーの最後の一口を流し込んだ。
「カティには気になる人はいないの？」
「いないなぁ」
あまりの即答ぶりに、ヴェーラとレベッカは顔を見合わせる。ヴェーラは大袈裟に肩を竦めた。
「こりゃ本当だね。もったいない」
「でも、彼氏さんができたら私たちとデートしてくれなくなるかも？」
「それはよくないね」
ヴェーラは眉間にシワを寄せて頷いた。カティは天井を仰ぐ。
「でも、カティに好きな人ができたら、わたしたちは全力で応援するよ！」
「あ、そうだ。好きな人っていえば、お前たちのほうがモテるだろ」
「ざんねーん。わたしはベッキーと相思相愛なので、その他大勢には用がありませーん。ね、ベッキー？」
「相思相愛は認めるけど、そういう関係じゃないでしょ」
「肉体関係？」
「ぶふっ」
吹き出すレベッカだったが、カティの反射神経によって紅茶を撒き散らす事態は避けられた。ヴェーラはレベッカの肩を抱きながら、ニッと笑う。
「お風呂も一緒に入る仲じゃぁないかぁ」
「お風呂はお風呂！」
けほけほと噎せながらレベッカが眉を吊り上げる。
「それはそれとして、わたしたちも今は別に誰もいないよ。いたらそれはちょっと面白いと思うけど。わたしたちだって女の子だからさ、ロマンスとか憧れるよ。ね、ベッキー？」
「そうね」
レベッカは頷きつつ、カティを見る。カティは首を傾げる。
「私たちなんかより、カティに映画みたいな恋をしてもらいたいと思うわ」
「映画みたいな恋……」
カティはその見事な赤毛を掻き回す。
「主人公ってガラじゃないだろ、アタシ」
「少なくともわたしの物語の主人公はカティだなぁ」
「私もです」
二人の少女の視線を受けて、カティは首を振る。
「お前たちをアタシの物語なんかに付き合わせるのはちょっとな」
「ちがうちがう」
ヴェーラが首を振り、レベッカの右肘あたりを軽く叩いた。レベッカは「そうよね」と言う。
「私たちが望んで、カティについていくんです。たとえカティがイヤだと言っても、です」
「もー……」
カティは唸る。
そんなカティを二人の少女は微笑んで見つめていた。