傲……慢……?
レベッカはまるで横面を張り倒されたかのような衝撃を覚えていた。何を言われたのか理解が追いつかず、ただ呆然とヴェーラを見る。ヴェーラはその瞳を無感情に煌めかせ、確認するかのように繰り返す。
「きみはさ、傲慢なんだよ」
しかしレベッカは言い返せない。言い返すことができなかった。ヴェーラは淡々と、初冬の風のような冷たい声で言う。
「自分の中の情報だけを寄せ集めて、なんとかかんとか理解し易いカタチにして。自分視点の現状をそこに都合よく組み込んで。その結果として正しい方法が出力されてくるんだと、きみはなぜか信じているよね。きみは無意識に、自分以外の誰かの意志の介在を拒絶している。都合の良い記号に置き換えたり、数値にしてみたりしてね」
「ヴェーラ、私は――」
「きみはわたしの行為や意志まで、自分の言葉に置き換えて理解しているという前提で万事を決めているんだ。わたしの意志を勝手に解釈していると言ってもいいだろうね。極めて自分本位の解釈ロジックが、きみの基盤にあるんだ」
透明なガラスのような瞳に射竦められて、レベッカはついに完全に立ち止まる。ヴェーラはそんなレベッカを正面からそっと抱きしめて囁いた。
「それはね、ベッキー。それはね、予想でも計算でもなんでもないんだ。それはね、ただの期待。期待なんだよ。言ってしまえば、ものすごく主観的な未来予報なんだ」
主観的な未来予報……。
レベッカはヴェーラを抱き締め返すこともできず、呆然と立ち竦む。身体全体が石化してしまったかのように動けなかった。息すらできないほどに。
「ごめん」
ヴェーラはレベッカの震えを察知して、掠れた声を発する。そしてもう一度「ごめんね」と謝りながら、レベッカを強く抱き締めた。
二人は更衣室に入るなり、入り口近くのベンチに並んで座る。レベッカは言葉もなくうつむき、ヴェーラは申し訳無さそうに眉尻を下げてレベッカに寄り添っていた。
「ごめんね、ベッキー」
「ううん」
レベッカは未だ衝撃から立ち直れていない。顔面は蒼白で、膝の上で握りしめた拳は小さく震えている。
「私、たぶんあなたの言ってることは分かってるんだと思う。だけど――」
「さっきはあんなこと言っちゃったけど」
ヴェーラは静謐な表情でレベッカの横顔を見つめる。
「きみには変わってほしくないんだ。さっきも言ったよね、きみにはきれいなままでいて欲しいって」
「でもそれじゃ……」
レベッカはぎこちなく視線をヴェーラに向けた。ヴェーラは静かに息を吐く。
「わたしたちが二人いる意味を、わたし、ずっと考えてた。この計画のためだけにわたしたちは創られたんじゃないかって」
「創られたって?」
「わからない」
ヴェーラは首を振る。
「わたしはわたしの過去に確信がない。辻褄は合う。整合は取れてる。そして何もかもに完全性が保証されてる」
「過去って……そんなものじゃないの?」
「ちがうよ、ベッキー。人の過去は、こと本人にとってみれば、曖昧で然るべきなんだ。カティですら、過去はとても曖昧じゃないか」
ヴェーラのその言葉に、レベッカは考え込んでしまう。無駄とも思える広さの更衣室には、もう人の気配はない。レベッカは眼鏡を外して弄ぶ。
「にもかかわらず、私たちの記憶には一貫性がある……」
「わたしたちの記憶力が規格外だとしても、わたしたち自身の記憶がここまで詳らかというのは、どう考えたって不自然だよね?」
「……そう、ね。そんなこと考えたこともなかったけど」
「わたしたちが何者なのか、あるいは、ただの幼馴染なのか。わたしたちには知る術はないけど、ね。でも、わたしときみが此処にいるのは事実だよね。だから、わたしはなぜわたしとベッキーがいるのか、考えてた」
「予備、みたいな?」
「だったらまだいいんだけど」
ヴェーラは目を伏せる。
「あるいは、安全装置――」
「でも、そんな都合の――」
「都合の良いこと――ありえなくはないよ? そうあるべくして、わたしたちが在るのだとしたら。わたしたちが一体どんな威力の兵器なのかはわからない。けど、現有抑止力を超えるものであることは確かだよ。だったら、暴走時の対処方法もシステム設計に組み込まれているはずだ」
その言葉に、レベッカは落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。ヴェーラはレベッカの灰色の髪に少し触れて、ふと息を吐く。
「だからね、わたしたちは常に独立した個でなきゃならないんだ。さっきの醜い言葉はわたしの言葉。きみを傷付けた言葉は、でも、間違いなくわたしの言葉なんだ。ベッキーはわたしに迎合する必要なんかない。わたしの言葉を真似する必要もない。きみはきみの判断で、きみの言葉を紡ぐべきだし、きみが確信をもって生み出した言葉だというのなら、行為だというのなら、それは間違いなく正しいんだ。たとえわたしがそこに誤謬を指摘したとしてもね」
「でもそれだったら、私たちは」
「遠い未来の話だよ」
ヴェーラは静かに言う。レベッカは下唇を強く噛む。ヴェーラはレベッカの頭を軽く撫でる。
「遠い、未来の話だ」
「でも、その時――」
「ねぇ、ベッキー。遠い未来に於いて、わたしたちが相互に許容し難い立場に立つことになったとしても……わたしたちは、わたしたち、でしょ? わたしにとっての一番はベッキーだよ。未来永劫、わたしの一番はきみなんだ」
「なんか、その言い方はイヤ」
レベッカは首を振る。
「まるで私たちが対立するのが決定事項みたいな言い方、イヤよ」
「そうだね、わたしだってイヤだ。だからね、ベッキー」
ヴェーラはレベッカに抱きついた。突然の抱擁にレベッカの両手が泳ぐ。
「だから、わたしのことを、ずっと好きでいて」
「何言ってるの、ヴェーラ」
レベッカは目を細めてヴェーラの背中に腕を回した。
「これは主観的な未来予報でもなんでも無いのよ、ヴェーラ」
「う、うん……?」
ヴェーラの反応を聞いてから、レベッカはその耳元に囁いた。
「私があなたを嫌うなんて、ありえない。たとえあなたが何をしようと、何を言おうと、私があなたを嫌いになんてなるはずがない」
「ありがとう、ベッキー」
ヴェーラは透明な声で、ぽつりとそうとだけ答えた。