あれ?
エレナは首を振る。ひどく肩が張っていて、少し頭痛もした。そしていつからか知らないが、ハルベルトが目の前に立っている。
「だいじょうぶ?」
「いつからいたのよ、あんた」
強がってみせるも、なぜか力が入らない。
「疲れてるんじゃない? ガラス越しにフラフラしてるのが見えたから、様子を見に来ただけよ」
「あ、そ、そうなの」
エレナは釈然としない思いを抱きつつも、ハルベルトのその言葉を否定する材料もなかったので、やむなくそう応じる。しかし、時計を見れば随分と時間が経っている。ざっくり考えても十五分かか二十分、記憶が抜けている。そしてもう一度携帯端末で時間を確認して、勢いよくベンチから立ち上がった。
「昼休みが終わっちゃう。行かなきゃ」
「あらあら。そうね。行ってらっしゃい」
振り返りもせずに走り去ってしまったエレナを見送ったハルベルトは、ふと視線を上げる。
「悪い子じゃないのね」
ハルベルトの視線は哀れみに満ちている。
「まったく残酷な配役。この計画に不可欠な要素だとは理解できなくもないわ。けれど、やはりあたしはあなたのやり方が好きにはなれないわ」
豪奢な金髪が、風もないのに揺らぐ。
「そうよ、確かにあたしは保守派。あなたのような独善主義者とは違うのよ、根本から。ええ、そう。残念ね」
その声には、一切の感傷もない。ただ義務的に言葉を発しているだけのようにも見えた。
「あなたがメフィストフェレスを気取るというのなら、あたしはさしずめ大天使ということになっちゃうわね。ミカエルなのか、ガブリエルなのかはさておき、ね。いいの、それで」
ハルベルトは機械的に腕を組む。安物の三次元映像のように、無駄のない動きだった。
神に纏わる存在――それはおしなべて保守派である。なぜなら、神とは、意識に因る認識の集大成だからだ。それはつまり、過去である。神は未来には在らず。それゆえに変化をすることはない。神の変化とは、言い換えるならば過去の改竄、あるいは毀損である。であるから、神の眷属である存在たちが神の変化を許容するはずもない。よって即ち、彼らは保守派なのだ。
「あら、そう。今回のあなた、随分と自信がありそうだけれど?」
ハルベルトは薄い刃のような笑みを見せる。
「あなたがそうというのなら、そうなる他にないのかもしれないけれど。でも、あたしは少し立ち位置を変えるわ、今回はね。そう、あの子たちを信じてみたいわ。それに」
そう言って一旦言葉を切り、目を細める。碧眼がうっすらと輝いている。
「ジョルジュ・ベルリオーズは特異点よ。あなたの支配すらはねのける可能性があるわよ。いいの? それとも、それすらあなたお得意の計算の内?」
ファウストの右と、ファウストの左――。
ハルベルトと彼女は、彼の両手を繋ぎ止める。自分たちにとって都合の良い方向へ導くために。時として同じ方向へ、時として相反する方向へ。金と銀、その二つの曖昧な要素は、彼を中心に回っている。
ばかばかしいメリーゴーラウンド。わざとらしい箱庭の世界。
そしてあたしたちは――。
ハルベルトは首を振る。
金髪が揺れる。
影が消える。