わあああああああああああああああっ!
――と、実際に叫んだかどうかはともかく、私は力の限りを尽くして起き上がった。あやうく上のベッドに頭をぶつける勢いだ。
「あっぶな……」
胸を撫で下ろして、胸の中から空気を追い出す。またあの夢だ。私が見た、最初で最後の二人のライヴ。その時の不思議な体験は現実だったのか、それともこうして何回も夢で見ることで作られた幻想なのか。私にも、私のルームメイトにも、はっきり説明することができずにいる。
「マリー、こるぁ!」
ベッドの上段から、そのルームメイトたる三色頭が顔を覗かせていた。ストロベリーブロンドをベースにした、青と黒のメッシュの入った髪の毛は、ことごとく重力に引かれて落ちている。普段は前髪に隠されている額がすっかり見えてしまっていた。意外におでこが広いんだな――そんなことを考えた私を、褐色の瞳が剣呑に見つめている。
「あのね、マリーさん。まぁだ、五時! 五時なんですけどぉ! 午・前・五・時!」
そう言われて、私は枕元の古風な目覚まし時計を見た。本当だ、ジャスト五時。私は思わずその液晶時計に向かって手を合わせる。
「ちょっとマリー! 時計に手を合わせてどうするのさ! あたしでしょ、手を合わせる相手!」
「ごめーん」
私は二度、時計に向かって頭を下げる。確かにまだ眠たい。起床時間まであと一時間。寝るべきか寝ざるべきか。それが問題だ。いや、これは問題ではない。答えは既に出ている。
「寝るー!」
「ちょっ!」
三色頭のルームメイトは寝起きと思えない速度で上のベッドから降りてきて、あろうことか――というか、いつも通りに――私のベッドに潜り込んできた。まるで忍者か猫のようだ。
「もー! 狭いよ!」
「ゲームしよーっと」
「ふぇっ? ここでやんなくてもいいじゃん!」
私の抗議などお構いなしに、アルマは支給品の携帯端末を取り出して、リズムゲームを起動した。その瞬間、「あ、これはもう寝られないな」と諦める。アルマはそんな私にわざわざこれでもかと密着してから、鼻歌交じりにゲームを開始する。
「あたしを叩き起こしておいてぇ二度寝しようたぁ、太ぇ奴だ」
そんなことを言いながら、アルマは空中に浮かんだ球や立方体のようなものをパンパンと手際よく弾き、時々携帯端末の画面を何やら操作しては、また空中に浮かぶ立体映像を指で弾いて消していく。今、私に聞こえているのは、我が国の誇る歌姫の一人、レベッカ・アーメリングの歌だ。携帯端末の画面の上では、高精度にモデリングされたレベッカの立体映像が踊っている。
「寝起きでこんなのできるとか、全然理解できないよ」
「よゆーよゆー!」
アルマはレベッカの歌に合わせてリズムを取りつつ、時々鼻歌まで織り交ぜてゲームを続けている。私の携帯端末にもこのゲームは入っているのだが、一番簡単なモードでしかフルコンボを決めたことがない。アルマがやっているのは隠し難易度、すなわち「神」の領域だった。
「ねむ……」
それでも寝てやろうかと、アルマに背を向けようとしたのだが、アルマはそれを許してくれなかった。あろうことか、私の右の耳を噛んだのだ。痛くはない。けど、変な気持ちだった。――ほとんど毎日されるのだけど、未だ、慣れない。
「諦めな、親友」
「もー!」
私はアルマの香りを感じつつ、なんだかんだと諦める。「仕方ないなぁ」とぶつぶつ言いながら自分の携帯端末を枕の下から発掘し、ニュースサイトをチェックした。ずらりと浮かび上がったニュースタイトルは、どれも私の興味を引くものばかりだ。そのニュースのほとんどが、レベッカの活躍や言動について。あるいは、卒業したばかりの歌姫養成科一期生の先輩たちの活動についてだ。
「よかった」
胸を撫で下ろす。一番見たくない記事は、少なくとも視界の中には入ってきていない。万が一それが起きたら、何があろうとトップ記事になることは間違いなかった。だから、私は毎日ニュースをチェックする。そのニュースがないことを確認するために。
私がこの士官学校に入学する直前に起きた大事件――ヴェーラ焼身自殺未遂事件。その事件こそ、私が士官学校で支給された携帯端末で見た初めてのニュースだった。未遂とはいうものの、ヴェーラ・グリエールは……未だ生死の境を彷徨っているのだという。だから私たちとヴェーラの再会の約束は未だ果たせてていない。
アルマが人差し指で空中のリングを貫きながら、私を見る。
「安否確認?」
「イエス」
「ヴェーラに何かあったら、ニュースより先に連絡が来るさ」
「あって欲しくないもん」
私は首を振る。もちろん「目を覚ました」のようなニュースなら大歓迎だ。だけど――。
「あの日のさ、マリー、覚えてる?」
「もちろん」
私は頷く。アルマはゲームの手を止めずに続けた。
「あの日に感じたことが、現実になっちゃった感じがあるよな」
「うん――」
あのコンサートで、十歳だった私たちが出会い、そして最前列中央でヴェーラたちと相対した日。あの日、強烈に浴びせられた負のエネルギー。それがあろうことか、私たちの入学の直前に解き放たれてしまったのだ。まるで私たちとの再会を拒絶するかのようなタイミングで。
その時、レベッカの歌が終わった。どうやらフルコンボを決めることができたらしい。しかし、アルマは表情を変えずに次の曲に移った。
「それ、なんだっけ? エディタとトリーネの……ええと」
「ナイト・フライト・イクシオン」
「ああ! それだ!」
私は携帯端末の画面を消して、仰向けに寝転がった。アルマの整った顔がよく見える。もちろん、五年以上の歳月が経っているのだから私たちは大人にはなりつつあるのだけれど、印象としてはあの頃からほとんど変わってない。あの時との違いと言えば、アルマの髪が三色になったくらいだ。だから、士官学校の入学式のその場で、私たちはすぐにお互いを認識できた。
「D級、S級はもちろんだけど、V級のもしっかりおさえておかなきゃならないぞ、マリー」
「わかってるよぅ」
私はアルマをじっと見上げる。私の視線に気付いたアルマはニッと笑う。あっ、これ、ヤバイやつだ――私はとっさに唇をガードする。アルマは小さく舌打ちする。……まったく、やれやれだ。
「で、我が国唯一のS級は……まだお仕事中か」
「みたい、だね。って、私たちだってS級じゃない、アルマ」
「あたしら、まだ戦力じゃないしー」
もう一人のルームメイトは、二年生にしてヴェーラやレベッカに次ぐ力を持つと言われている、レネ・グリーグというS級だ――ちなみに私たちからはレニーと呼ばれている。部屋の反対側のベッドがレニーのものなのだけど、私が寝ている内に呼び出されていたらしい。全然気付かなかった。私は唇をさり気なく守りつつ、手の甲にホッと息を吐きかけてから肩を竦めた。
「二年生にして戦力計上だからね」
「やれやれだね。どんな台所事情だよってね」
アルマの携帯端末から流れる歌が最高の盛り上がりを見せている。アルマは少し口角を上げつつ、ハミングしている。思わず私はそれに音を重ねてしまう。高く低く、アルマの紡ぐ音に絡めていく。
曲が終わると、アルマはゲームを終了させた。
「マリーは本当に歌が上手いね」
「どーもどーも」
私は胸に伸びてきたアルマの手をさりげに払いつつ、ベッドから出た。
「――歌姫養成科、か」
私は伸びをしつつ言った。今年卒業した一期生には、全員に専用の巡洋艦が与えられている。また一期生のV級は四名いるから、「四天王」なんて呼ばれている。その首席と次席にあたるのが、今の「ナイト・フライト・イクシオン」を歌っていたエディタとトリーネというわけだ。「次世代の歌姫!」などと大袈裟に喧伝されているけれど、私はそれがイヤだった。まるで「ヴェーラがいなくても大丈夫ですよ!」と言っているように聞こえてならなかったからだ。
「マリー、コーヒーでいい?」
アルマが私を追い越して、リビングの方へと出て行った。慌てて後を追う私だ。
「濃いのにして」
「あいよ」
リビングの隅っこにあるキッチンで、アルマがインスタントコーヒーを作ってくれる。いつもは私が作るのだけど、今日はアルマの気分が乗ったようだ。彼女はどちらかというと猫タイプで、気まぐれに飄々と過ごしている。対する私は犬タイプ……なのかどうかはよくわからない。アルマは「あんたはあんた」としか言ってくれない。
私はパジャマ姿のアルマの背後に忍び寄り、覆いかぶさるようにしてコーヒーの入った黒いマグカップを取った。
「うっわ、あぶなっ!」
「ごめんごめーん」
義務的に応じつつ、私はコーヒーを一口飲んだ。うわーっ、濃い! 苦っ!
「アルマぁ……さすがにこれはちょっとアレだよ」
「え? お、お仕置きする? する? ねぇ、する?」
「しなーい」
私は首を振った。ついでに空いてる手も振った。アルマは「ちぇー」とか言っているが無視する。ちなみにアルマのマグカップは真っ青だ。その青いマグカップに、アルマは懸命に息を吹きかけ始めた。彼女は――猫舌だ。
「氷入れれば?」
「あ、そうか。そうしよう」
アルマはあっさりと私の提案を採用して、冷凍庫にあった氷をいくつか放り込んだ。
「……ぬるい」
「そ、そりゃそうでしょ……」
入学してから一ヶ月だけど、もう三回はこのやり取りをした気がする。
「そして、苦い!」
「アルマが作ったんでしょ」
「本気で、苦い!」
涙目のアルマ。アルマは猫舌に加えてお子様舌でもある。めんどくさい展開になりそうなので、私はアルマのマグカップに手を伸ばす。
「作り直す?」
「キスしてくれたら飲める」
「じゃぁ、作り直そう」
「えー」
「えー、じゃない」
本当にこの、朝と夜に毎日キスをせがんでくるのだけは、どうにかして欲しい。日々貞操の危機を覚えている私だ。あ、でも、レニーにやってるのは見たことがない気がする――ってことは、アルマが甘えてくるのは私だけなのかもしれない。
そう思ったら、なんていうかな、なんかちょっと胸がキュンとした。
アルマは一人掛けのソファ――彼女の指定席だ――に腰をおろして足を組む。ハーフパンツタイプのパジャマだから、白い膝下が眩しい。支給品なので、私も同じスタイルだ。
「マリーってガード硬いよねぇ。好きな男の人でもいた?」
「いないよ。そもそも施設の子の顔なんていちいち覚えてないし」
これは本当だ。施設を出てから一ヶ月でもあるわけだけど、もうほとんど顔と名前が一致しない。そもそも自由のない施設だったということもある。子ども同士で会話する機会自体がほとんどなかったのだ。
私は三人掛けソファの端に腰を下ろす。こっちは私の指定席だ。私はコーヒーをまた半口飲み、渋い顔をしてみせる。
「これさ、カフェインだと思って飲むしかないね」
「さすがあたしだね!」
「いや、褒めてないし?」
私はついぞ飲んだことのない味のコーヒーを、どうしたものかと再び考える。ミルクも砂糖もシロップもないから、作り直すか我慢するかしか道がない。
「飲むしかないか」
ため息をつく私に、アルマが両手の指でハートマークを作る。
「愛情だと思って、親友!」
「はいはい、アルマも飲むんだよ」
「マリーってさ」
突然真面目な顔になるアルマ。
「初めて会った時は捨てられたチワワみたいな顔してたのに、五年ぶりに会ってみたら、そうだなぁ、あれ、ほら、あれ」
言葉に詰まったアルマは、携帯端末に向かって「マリオンっぽい犬!」と言った。思わず吹き出す私。
「いやいや、それは無理でしょ」
『マリオンに似たタイプの犬種を収集しました』
「マジでっ!?」
アルマの携帯端末の発した言葉に驚く私。そんな私を差し置いて、アルマが何やら興奮している。
「柴犬かよ! かわいいかよ!」
「柴犬ぅ!?」
褒められたのか? 喜んで良いのか?
そんな風にじゃれていると、私たちの携帯端末に、緊急通知が流れ込んできた。