イザベラ・ネーミア提督の処女戦では、超兵器・ナイアーラトテップM型十五隻および新型ナイアーラトテップ、そして三個艦隊を殲滅したという「超」がつくほどの大戦果を上げた。もっとも、新型ナイアーラトテップは自爆兵器であった公算が強く、カウントするべきかどうかはネット上でも意見が分かれていた。
私たち歌姫の主幹組織、参謀部第六課による会見が開かれたのは、戦闘から八時間が経過した真夜中だった。白く寒々しい会見場に、私たちの総指揮官と言っても良い人物が姿を見せる。猛禽類のような尖った雰囲気を纏い、黒い長髪と眼鏡が目を引く女性将校、アレキサンドラ・ハーディ中佐だ。士官学校で何度か顔を合わせているけど、ハーディ中佐からはおおよそ人間らしい体温を感じない。無表情で無感情。何をしても鼓動はおろか呼吸すら乱れない……と思っている。私もアルマも、この人はもしかして機械なんじゃないかと常々言っているくらいだ。
戦闘終結後に戻ってきたレニーはさっきまで寝ていたのだけど、いつの間にか起きてきていた。今はソファに座ってテレビを眺めている。だけど少し眠そうだ。
そして私の太ももの上にはレオンの頭があった。つい三十分ほど前にルームメイトの子に連れられてやってきたのだ。うんざりした顔のその子によると、レオンは「具合が悪いのはマリー成分が足りないからだ」と主張して大変うるさかったらしい。
「もー、おとなしく寝てたら治るのに。風邪でしょ?」
「マリー成分がないと治らない」
そう言うレオンの顔色は悪い。確かに熱もある。私は「はいはい」と言いながら、吸熱パッドでレオンの額を拭く。今の体温は三十八度ちょうどだ。
テレビの中ではいよいよ会見が始まる。記者の一人が手を挙げた。
『今回の作戦は予定通りだったといえますか?』
ハーディ中佐はその質問を無視して、会見席に腰を下ろす。その目は鋭く細められていた。そして空中に半立体スクリーンを展開して、戦闘の状況を時系列に従って説明していく。これはいつもの流れだ。
『ハーディ統括、先程の質問への回答を』
質問した記者が少し苛立った声を発する。ハーディ中佐はまた目を細め、眼鏡の位置を直した。
『貴方の言う予定通りというのは、V級歌姫の喪失を含めて――という極めて愚かな問いだと解釈してもよろしいですか?』
その返しを受けて、記者たちがどよめく。ハーディ中佐が事務的な事以外を口にしたのを聞いたのは、初めてかもしれない。
『極めて愚かな問いというのは、国民への挑戦のような言動ですよ』
『それは一記者に過ぎない貴方が、まるで国民の代表でもあるかのような口ぶりですね』
ハーディ中佐の硬質な声が響く。
『ではまず確認させていただきますが、貴方はどなたに選ばれたのですか』
『それは……』
口ごもる記者。テレビの前の私たちはそろって唖然だ。
『答えられないのであれば、以後、そのような発言は慎むように。そもそも、ここにいる者は誰一人として、国民の代表などではありません。貴方は自らの所属する会社のためにその愚かな口を開き、私はその愚かな貴方のために、無意味な会見を開くのです』
「……ハーディ中佐って、こんな人だったっけ?」
アルマが言った。レニーが勢いよく首を振る。もう眠気は吹き飛んだようだ。
「中佐がこんなに喋っているのは見たことがないわ」
「だよね」
私とアルマが同時に頷いた。私の太ももを枕にしているレオンは……具合が悪そうだ。そんな私たちにはお構いなしに、ハーディ中佐は言葉を繋げていく。
『V級歌姫、トリーネ・ヴィーケネス中尉の戦死、および重巡レグルスの喪失は事実です』
『参謀部としてはこの巨大な被害はどのように?』
別の記者が控えめな声で尋ねた。ハーディ中佐は眼鏡の位置を直す。レンズがギラリと輝いた。
『手痛い損害であることは認めます。しかし、我が方の戦果については、ご存知の通り。トリーネ・ヴィーケネス中尉の命と引き換えに、我々は敵の恐るべき兵器の性能を知ることができました』
『その兵器は、しかし――』
『現時刻をもって、当該の兵器をナイアーラトテップI型と呼称します。分析の結果、I型は、あの八都市空襲に用いられた自律飛行爆弾インスマウスと同等の性能を持っていることが判明しています』
やっぱり。あの音はまぎれもなくインスマウスだった。私もアルマも、そしてレニーも、それについての見解は一致していた。
『イ、インスマウスですか!? ぐ、具体的な対策は!』
記者たちも動揺を隠せない様子だ。私を含め、ヤーグベルテの国民の多くは、「インスマウス」という音にアレルギー的な反応を示すようになっているのだ。
それに対して、ハーディ中佐は全く表情を変えること無く答える。
『I型については、D級またはS級が対処します。以上』
『中佐!』
会見を終わろうとした所で、別の記者が手を挙げた。
『ネーミア提督はヴィーケネス中尉を助けようとしたのでしょうか』
『無論です』
『しかし――』
『私は貴方の望む回答をする必要性を感じません』
バッサリとその記者を切り捨てるハーディ中佐。中佐の声は、凍え切った刀のように、冷たく鋭い。
『アーメリング提督はずっと後方にいたように見えましたが、その意図は? もし、艦隊旗艦ウラニアが前に出ていれば――』
『戦場にもしもを持ち込むほどくだらない事はありません』
はたと気付けば、私たち――レオン以外――は、食い入るようにその会見を見つめていた。痺れるほどに痛快な物言いに、私たちはある意味魅了されていたのかもしれない。
『しかし!』
『貴方たちは!』
ハーディ中佐が声を荒げた。中佐のこんな声、初めて聞いた。
『誰がこの国を守っているのか、知らないのですか』
『国防は軍の責務――』
『黙りなさい!』
ハーディ中佐の激高。私たちまで背筋が伸びた。
『レベッカ・アーメリング提督も、ヴェーラ・グリエール提督も! 何の痛みもなしに戦っていたのだとお考えか! その手でいったい何万、何十万と殺させてきたか! 我々、軍が不甲斐なかったことは認めましょう。無力にして無策だったという誹りを否定することは到底できません。しかし! 貴方たちマスコミもまた、提督方に何をしてきた! ひたすら、国家のためにと殺し続けてきたあの子――失礼、あの方たちに、いったい何を言ってきた!』
全く無表情なのに、ハーディ中佐の声には強烈な怒りが乗っていた。
『ヴェーラ・グリエールが命を絶った原因がどこにあるか。貴方たちは一度でも自省したのか! なればいかような結論を出したのか! それを今、自らの社の代表としてカメラの前で総括できるか! できるのならば、いくらでも私に向かって石を投げるがいい!』
沈黙。
痛いくらいの沈黙が、ひそひそと蠢いている。ハーディ中佐は毅然たる表情を崩さない。鉄面皮とか鉄仮面とか、なんかひどい渾名があった気がする。
『提督方は、新しい時代の戦い方にシフトすることを決めた。作戦参謀長カワセ大佐と共に、アーメリング、ネーミア両提督が決めたことです』
『しかし、多くの人命が――』
『それがなにか?』
ごくり、と、誰かが唾を飲んだ。私かもしれない。別の記者がまた手を挙げた。
『一期生はまだ新米ではないですか。にもかかわらず――』
『彼女らは軍人です。戦う以上、死もあるでしょう』
『しかし、以前は……』
『新しい時代の戦い方、と、申し上げましたが?』
ハーディ中佐はまた眼鏡を直す。記者が言い募る。
『一期生の歌姫たちを見捨てるような戦い方を――』
『その発言は訂正、あるいは取り消していただきたい』
ハーディ中佐は丁寧に圧力をかけた。記者は黙りこくる。
『それが御社の意志ということでよろしいですね。貴方は会社の代表でしょう』
『それは……』
『違うというのならば退出してください。自社の看板も背負えぬ方のために、私たちの貴重な時間を使う義理はありません』
私たちは顔を見合わせた。私はレニーに訊いた。
「ハーディ中佐、どうしたのかな」
「ネーミア提督か……あるいはカワセ大佐と何かあったのかしら……」
カワセ大佐は参謀部と第一・第二艦隊をつなぐ実務役だ。階級はハーディ中佐より一つ上だったが、立場上はハーディ中佐の指揮下だ。どういう理屈でそうなっているかは知らない。
アルマが空のマグカップを弄びながら言う。
「中佐、軍を辞める、とか?」
「それはないと思う」
レニーは首を振る。
「中佐は、よほどのことがない限り投げ出さないわ。あの逃がし屋、ルフェーブル大佐の右腕だった人だもの」
ルフェーブル大佐――今は少将か――は暗殺されたんだっけ……。その事件は、何となく記憶にある。
テレビの中では会見が続いている。ふと下を見ると、レオンもまたテレビを凝視していた。
『この広いヤーグベルテの領海をたったの二人のD級歌姫に守ってもらうという発想には、そもそも無理があった。そして従来の最強の戦力である四風飛行隊を以てしても、アーシュオンの超兵器には抗し得ない。D級歌姫主体の国土防衛については、暫定的な戦略に過ぎなかった。
今年になって一期生が参戦したことにより、たとえばナイアーラトテップM型程度であれば、V級あるいは、複数のC級によって対処できるようになりつつあります。彼女らが単独で分艦隊を率いて動けるようになれば、ヤーグベルテの国防体勢も盤石になると言えるでしょう』
『ということは、今は我慢の時期と……?』
『イエス』
短い肯定。
それは犠牲を甘受するという公式の意思表示だ。
自らの死を覚悟せよ! 友との死別を覚悟せよ! ――ネーミア提督が就任演説で言い放った言葉だ。
私の心の中ではいくつもの「正しいこと」がぶつかりあって渦を巻いている。
そこでまた一人の記者が手を挙げた。
『アエネアス社のディケンズって言います。お見知りおきを、中佐』
『存じております、ディケンズ記者。何でしょう』
『一つ疑問なんですがね。第七艦隊を除く、いわば通常艦隊の連中って何してるんですか』
『それは各艦隊の主幹に問い合わせてください』
『それもそうっすね。で、もう一つ』
『もう時間です。他の記者も――』
『お仕着せメディアの有象無象の質問なんざ、時間の無駄ですよっと』
変な人が出てきた! 私は少し興奮する。こんな変な記者は見たことがない。
『で、ええと、イザベラ・ネーミア提督のデビュー戦。参謀部としてはどの程度評価してるんです?』
その問いに、ハーディ中佐は目を細める。何を考えているかはよくわからないが、不愉快ではなかったらしい。
『先程も申し上げたとおり、被害は小さくありませんが、戦果はそれを遥かに上回りました。戦略地図的には順調に推移、万事想定の範囲内です。現時点、アーシュオンの新兵器を踏まえても、未だ国防に関しては圧倒的優位にあると言って良いでしょう。つまり、トリーネ・ヴィーケネス中尉の戦死は、戦局には――』
『直ちに影響はない、ですか』
『イエス』
短い肯定に被せるようにして、ディケンズ記者は言う。
『トリーネの断末魔が早くも市場に出回っていることは?』
『保安部と情報部が動いています。セイレネスに関するありとあらゆる音源は、軍公式ルート以外での流通は認めていません』
『昨年に採取された断末魔も、公式に流通するということで?』
『――それは私の管轄ではありません』
一瞬だけ、ハーディ中佐の表情が曇ったように見えた。
断末魔――。
それは私たち歌姫の最後の歌の事だ。歌姫が死ぬ、まさにその瞬間に発された歌は、通常の歌を遥かに凌ぐ陶酔効果があるらしい。だから、歌姫の誰かが死ぬと、すぐにその歌が抽出され、高値で配信される。売り抜け上等と言わんばかりに。
画面の中からハーディ中佐が消えていた。会見が終わったのだ。
アルマは黙ってテレビを消すと、携帯端末のリズムゲームを起動した。私たちは何となしにその様子を見つめる。レオンもなんとか身を起こし、私の肩に頭を乗せていた。
アルマの手元から流れてきたのは――。
「セルフィッシュ・スタンド、か」
テーブルに置かれた携帯端末の上に、ヴェーラが単独で歌っている三次元映像が浮かんでいる。
「これってゲーム……じゃないの?」
レニーが半分閉じた目をこすりながら訊いた。アルマは幾分得意げに胸を張った。
「クリア特典。難易度・神で全曲フルコンボを決めたら、ダウンロードできるようになった」
「へぇ……」
私も、すっかり起き上がったレオンも、それを凝視する。レオンが興奮気味に言う。
「……ん? 待てよ? これ、プライベート映像かなんかじゃないか?」
「っぽいんだよ。見て、最初ちらっとカワセ大佐が映るだろ。それからほら、角度によってほら、レベッカが見えるだろ。で――」
「あっ、この赤毛の人って」
燃えるような赤毛に、純白と言っていいほど白い肌の女性がいる。ネットニュースや雑誌で何回も見たことがある精悍な顔だ。
「空の女帝、カティ・メラルティン大佐」
全員の声が揃う。だけど、その女帝の表情は、びっくりするくらい柔らかい。私はまじまじとその映像を見ながら、もちろん歌も聴きながら、疑問を口にする。
「この映像って、公式なの?」
「わかんないけど、ダウンロード回数からして、今の所クリアしたのはあたし一人らしい。アプリ自体も軍が作ったものだし、だから多分許可は得てるんじゃないかな。というより、許可なしにこんな、おっそろしいものを配信できるはずがない」
それもそうだ。
私は納得した。ヴェーラ・グリエール提督にレベッカ・アーメリング提督、第一・第二艦隊の作戦参謀長マリア・カワセ大佐、最強の戦闘機乗りカティ・メラルティン大佐。この方々に喧嘩を売れる人も勢力も存在していない。
――そうこうしている間にヴェーラの歌が終わってしまった。