クロフォードは自室に戻るなり、応接用のソファに深々と座り込む。視線の先には壁に設置された電子地図がある。ヤーグベルテとアーシュオンの間の海域の数カ所が、小さく赤く点滅している。クロフォードが組み上げたプログラムが算出している警戒海域が光っているのだ。ヤーグベルテは常に脅威に晒されているが、今現在のクロフォードに出来ることは何もない。
深い息を吐きつつ、自席に戻り、デスクの上の解錠ボタンを押した。ドアがスライドして開くと、そこには鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして立っているパウエルがいた。
「どうしてわかったんです?」
「カンだよ、カン」
クロフォードはとぼけて言い、応接用のソファに戻った。パウエルは遠慮なく入ってきて、クロフォードの向かいに腰を落ち着けた。
「俺の直近の海戦は知ってるな?」
「上官を殴って昇進を逃したアレですかな?」
「それを言うな」
苦笑しながらクロフォードは言い、足を組んだ。パウエルは肩を竦める。
「それで、その海戦が?」
「あの時俺が殲滅したのは何だったと思う?」
「潜水艦艦隊、では?」
「だったらこんな問いはしないな」
クロフォードはニヤリとし、携帯端末を取り出すと何度か指をスライドさせた。すると、壁の電子地図が書き換わり、何枚かの写真と動画を映し出す。
「これは……」
パウエルはクロフォードが何を言おうとしたのかを悟って絶句する。クロフォードは言う。
「神出鬼没の海上要塞と言ってもいいな。超巨大な潜水艦とも言えるな。山盛りの核ミサイルを積んでいたよ」
「そんなものを? ヤーグベルテを焦土にするつもりですか」
「まぁ、核兵器の抑止力を改めて突きつけてこようとしたんだろうが」
「しかし、アーシュオン本土からでもICBMはいくらでも届くのでは」
「まさか」
クロフォードは笑う。
「陸上のミサイル発射台など、いくら移動しようが隠そうが、迎撃のチャンスはいくらでもある。だが、潜水艦のSLBMは別だ。ここ数年のアーシュオンの潜水艦技術の進歩は異常だ。まるで何かの試作品であるかのように次から次から新しいものが送り込まれてきている。今回だって、俺も直前も直前、会敵のその瞬間まで、ただの潜水艦艦隊だと思っていたんだ」
「中佐の情報部隊をもってしても?」
「情報部隊ね」
意味深な応答をして、クロフォードは立ち上がる。
「アーシュオンの脅威は日に日に増している。まさに神出鬼没。どこから現れるかわかりはしない。それを中央政府は認識した。そして、ありとあらゆる戦力を動員すべきだと参謀本部が大統領府に進言した」
「まさか、それでさっきの実戦配備発言が」
「そのとおり」
面白くもなさそうにクロフォードは肯定し、電子地図の表示をまた切り替える。
「これは」
パウエルはそれが何であるかを一目で見抜いた。前世代の戦闘機、F102。ジークフリートの登場によってアビオニクスの類が異常に進化した現代の戦闘機と勝負することは不可能と言われ、国民にすら「羽つき棺桶」と呼ばれているアンティークだった。パウエルは思わず拳を握りしめる。
「こんな物をまさか」
「そのまさか、だ。主力機たちの疲弊消耗も甚だしい昨今、全ての領海領空にF106、F107……まして、F108Pを配備しておくわけにもいかない」
「だからといって、こんな老朽機を」
「一瞬時間を稼げればいい。そういう算段だそうだ」
「冗談じゃない。四風飛行隊のような超エース級ならまだしも、完熟訓練さえできてない候補生が、実戦なんてできるはずもないでしょうが。まして、F102ですよ。今や航空ショーにしか使えないし、そもそも搭載可能なミサイルだって生産中止ですよ」
「わかっている」
クロフォードは腕を組んで、ソファに戻って天井を見上げる。
「我が国が専守防衛などという馬鹿げた思想を標榜していなければ、こんなことにはならんのだがな」
「それは我が国唯一のアイデンティティですからな」
パウエルは幾分ムッとして言い返す。クロフォードは天井を見たまま更に言い返す。
「それ故に、軍隊不要論などを唱える馬鹿な奴らが跋扈する。そのくせ、戦争――人が人と殺し合う行為を見世物のように楽しんでさえいる。自分だけは大丈夫、自分は見ているだけでいい、誰かが守ってくれる、誰かが敵を殺してくれる。……そんな無知とバイアスに支配された愚かな連中ばかりさ」
「それに関しては反対はしませんが」
パウエルは頷く。クロフォードは姿勢を正し、ギラリと鋭い眼差しを向けた。
「主導権は常に盗人側にある。我々の国土防衛体制は、もうすでに破綻の時を迎えている。その証拠が、F102の四半世紀の時を超えた再実戦配備だ」
「しかしそれは学生に無駄死にしろと――」
「戦う機会がなければいい。ポーズだよ、国民の皆々様に示すためのね。税金は無駄にしない。使えるものは使う。我が国は絶対に国民の皆々様をお守りする所存。それを示すためのポーズだ。それで扇動者たちもおとなしくなるし、国民も納得する。軍人さえ溜飲を下げれば万事丸く収まる」
「いやいや、おかしいでしょう、中佐」
パウエルは言い募る。
「候補生たちは未だ軍人ではありませんよ。民間人――」
「それ以前に軍人候補生だ」
クロフォードは重苦しく言った。パウエルは言葉を飲み込む。
「中央政府のおえらいさんが何を考えているかまではわからんが、あのハルベルト・クライバーが送り込まれてきたこと。そして、ヴェーラ・グリエール、レベッカ・アーメリングの存在。何か感じるものはないかね、少佐」
「私は何も知らされておりませんよ、中佐。グリエール、アーメリングの両名が何者であるか、見当はついたとしても、それを口にできる立場にはおりませんからな」
パウエルは義足の駆動音を響かせながら立ち上がった。クロフォードはソファに座ったまま、そのパウエルに問いかける、
「君は偶然という言葉をどの程度信じている?」
「全く」
短くそう答え、パウエルは部屋を出ていった。
ドアが閉まるのを見届けてから、クロフォードはまた天井を見上げる。
「歌姫計画か。これから世界はどこまで魔境と化すのだろうなぁ」
その片棒をはりきって担いでいる自分にでさえ、わからんのだ――クロフォードは目を閉じる。
「これだから戦争は止められんのだろうな」
電子地図に映し出されたままのF102を眺めながら、クロフォードは呟いたのだった。