二人はピザ屋の駐車場で参謀部の車に拾われて帰っていった。一人になってしまったカティは少し思案した末に、一人でドライブをしてみようと思い至る。市街地から抜ける頃になって、細かい雪が振り始めてきた。気温が下がっているから、雪の粒が細かいのだ。カティは一瞬自動運転に切り替えようかと考えたが、思い直して手動運転を貫いた。道路は相変わらず凍結していたが、車の持つ路面予測性能と制動装置は信頼できる代物だった。
たまに見かける歩行者は皆寒そうに背中を丸めていた。もっと厚着をすればいいのにとカティは思ったが、この統合首都の冬ではあの「微妙に寒そうな出で立ち」がスタンダードだということも知っていた。カティは寒さが苦手だったので、出歩く用事がある際には、コートの内側はこれでもかと言うほどの防寒装備を身に着けていた。カティにとって寒さは死活問題だったからだ。だが、この地方、屋内に入ると暖房が全力で威力を発揮しているため、防寒対策をすればするほど屋内に入りにくくなるという弱点があった。
「文明国とは思えない」
カティは車載音楽プレイヤーで古いラヴソングを流しながらぼやく。昨日今日寒くなったわけでもあるまいに、なぜこの地方の人達は本気で寒さ対策をしないのかと、カティは常々疑問に思っている。
カティは鼻歌を歌いながら危なげなく車を進め、市街地の周囲を一周して寮へと帰ってくる。年始のこの時期の駐車場は文字通り閑散としており、どこにでも停め放題だった。カティは駐車をシステムに任せ、周囲を見回す。申し訳程度に駐車場を照らしている灯りの中に、見覚えのある高級車を発見する。
「あれって」
カティは目を凝らして観察し、確信する。エレナの愛車に間違いなかった。同盟国エル・マークヴェリアから輸入された超がつくほどの高級車だ。本来、こんな野ざらしの駐車場に置いておくような代物ではなかったが、エレナはいつもこうして無防備に放置している。
だが、今はエレナは帰省していて不在のはずだ。
カティは首を傾げつつも、寮の玄関に辿り着く。玄関最寄りの駐車スペースを確保できたから、ほとんど冷えずに済んだ。そのことでカティのテンションは少し上がる。と、その時、カティの後ろでドアが開いた音がした。
「エレナ?」
振り返ったカティは、すっかりやつれた様子のエレナを見て驚いた。唇は半ば紫色になっていたし、顔はもう殆ど白色だった。
「どうしたんだ」
「カティ……」
エレナはフラフラと歩いてくると、そのままカティに抱きついた。
「どうしたんだ」
他に人の気配はない。エレナはカティにしがみつくように抱きついていて、微動だにしない。カティは仕方なくエレナの背中に手を回して軽く抱いた。
「エレナ? 大丈夫か?」
「大丈夫ならこんなことしない」
エレナは首を振った。カティはしばらく硬直していたが、やがて天井に向けて大きく息を吐いた。
「よしわかった。ここも寒いから、部屋に行こう。エレナも冷え切ってる」
きっと、何時間かあの車の中にいたのだろう。エンジンもかかっていなかったから、相当に冷えているのは間違いなかった。カティなら凍死しているレベルかもしれない。
カティはエレナの手を引いて自室へと向かって歩き始める。
「エレナの部屋のほうがいいか?」
「ううん。あなたの部屋に行きたい」
エレナはなされるがままにカティの後をついていく。カティの部屋を前にして、エレナは涙をこぼし始める。カティはエレナの隣に並ぶと、その肩を抱くようにして部屋へと招き入れた。
「座って」
ベッドを示して、カティは言う。エレナは素直に従った。
「ココア? コーヒー?」
「ココア、が、いいかな」
「了解」
カティは二人分のココアを作りながら、エレナに声をかける。
「部屋、寒くないか?」
「……だいじょうぶ。ありがと」
ココアを受け取って、エレナは力なく微笑んだ。カティはエレナの隣に腰を下ろし、ちびちびとココアを飲み始める。
「飲んだことない味」
「安物だからね」
カティは苦笑する。エレナは文字通りお嬢様だったから、コンビニで売られているようなココアになど縁がないはずだった。
「お気に召さない?」
「美味しいよ」
エレナは少し眉尻を下げる。
「私、友達いないから。あなたしか頼れなかった。だから、帰ってきたの」
「エレナの周りにはいつも人だかりができてるじゃないか」
何を言ってるんだとカティは首を傾げる。エレナは苦笑する。
「確かにいつも誰かがいるけど、みんな友達なんかじゃないわ」
「アタシは友達なのか?」
「違うの?」
エレナの言葉にカティは少し考える。
「確かに交際成立とは言われたな、風呂で」
「ええ。じゃぁ、恋人かしら?」
「それはない」
カティはまたココアに口をつける。エレナは口角を上げて息を吐いた。
「あなたの隣にいられたらいいなって思うよ」
「今いるじゃないか」
「そうじゃない」
「だよな」
「もう!」
エレナはそう言って小さく吹き出した。カティも乏しい表情筋を駆使して目を細める。
「あなた、すごくいい顔してるね」
「ハンサムとは言われる」
「そうじゃないよ、もう。なんかあったの?」
「……まぁね」
多分、ヴェーラとレベッカと、久しぶりに長時間会話ができたおかげだ。カティは頭を掻いた。そこでエレナは立ち上がり、キッチンにマグカップを置いた。
「あのね、カティ。私の家、なくなっちゃったんだ」
「は?」
カティは目を丸くした。立ち上がってキッチンでエレナと並ぶ。そして自動的に二つのマグカップを洗い始めている。
「私の家、跡形もなくて。あのね、私、大学出てまっすぐここに来たんだ。で、五年くらいまったく実家に寄ってなくて。昨日意を決して行ってみた。そしたら、まるで何もなかったみたいになっていたの。家があった場所にはもう他の家が建っていて、それで、誰も私を覚えてなくて、家族のことも誰も知らなくて――」
「そんなことが」
在るはずがない、と言おうとして、カティは言葉を飲み込んだ。手を拭いて、そのままエレナの肩を抱いてベッドへと導いた。
「なんか、押し倒されるんじゃないかって気になる」
「エレナ、そうされたいんじゃないか?」
冗談めかして言うカティをまっすぐに見上げ、エレナは頷いた。
「されてもいいって思ってる」
「えっと……」
カティはジョークを真っ直ぐに打ち返されて狼狽える。エレナは笑う。
「本気だけど冗談よ、カティ。正直、あなたのことを初恋の人かなって思ったけど」
「ええ?」
初恋って、そういう?
カティはベッドに腰を下ろしたエレナを棒立ち状態で見下ろしている。エレナは黙ってカティを見上げていたが、やがて声を上げて笑い始める。
「私の家、どこ行っちゃったのかなぁ」
エレナはカティの手を引いて、自分の隣に座らせる。そしてカティの手を握って、俯いた。
「ごめんね、カティ。あなたのこと、調べちゃった」
「アタシの?」
「アイギス村」
エレナはそうとだけ言った。カティは「ああ」と頷いた。
「よく調べられたな。割とめんどくさい秘匿のされ方だったはずだけど」
「そこはほら、お金の力よ」
エレナは目を伏せたまま言う。カティはエレナの肩を抱いた。
「もう、そういう行動が私を誤解させるんだよ、カティ」
「あ、そうか。悪かった」
「小説、いっぱい読んでるのに鈍いんだねぇ、カティは」
エレナは部屋の書棚に並んだ紙媒体の書籍を指差して言った。カティはまた頭を掻いた。
「小説はファンタジーさ。現実にあんな恋愛とか事件とか起きるはずないだろ」
「あなたの身に起きた事件は小説なんか超えてると思うけど」
「……小説は整合があるだろ。あの事件には整合なんてない」
「そうかぁ」
エレナは考え込むように宙を見上げ、そのままカティの膝に頭を乗せた。その突然の行動にどぎまぎするカティである。
「エレナ、あの」
「だめ?」
「いや、うん、いい、けど」
カティは空いてしまった右手を彷徨わせた後、膝に乗っているエレナの頭の上に移動させた。エレナは肩を小さく震わせて笑っていた。
「そういうところ、好きよ、カティ」
「ノーコメント」
ぶすっとしてカティはそう応えた。
「カティはすごいね。あんな過去があったのに、こうして今、こんなに強い。私ならきっと耐えられなかった。何もできない人になっていたと思う」
「それは、どうだろうな。アタシにもわからない。ただ、気付いたらこうなってた」
「それが強さよ、カティ」
エレナはカティの太ももに手をやりながら、息を吐いた。
「兄がいたの、私」
「兄さん?」
「うん。でも、三日前に死んだ」
「……軍人?」
「そ。陸軍のね。島嶼奪還作戦の一つに参加していたんだけど、上陸直後にガンシップと潜水艦から集中砲火をくらって部隊は全滅。兄も死んだみたい」
「みたい?」
「島が半分消し飛んでて生存者の確認ができない状態なんだって」
エレナはゆっくりと息を吐いた。
「だから、私の家族はみんな行方不明。口座に山程お金がある以外、何もなくなっちゃった」
エレナは膝枕状態をキープしたまま、頭に置かれていたカティの手に触れた。
「あったかいね」
「お前のは冷たすぎる。風呂でも行くか?」
「いいね、きっと貸し切り」
「だな」
カティが頷くと、エレナはゆっくりと身を起こした。
「あなたのことが好き」
「友人として?」
「うーん」
エレナは立ち上がって腕を組んだ。
「何ていうかなぁ。一生そばにいてほしいって。一生そばにいたいって。そんな気持ち」
「プロポーズかよ」
カティも立って、着替えを一式用意する。
「エレナの着替えは?」
「部屋に寄るわ」
「オーケー」
カティは頷いた。そこでエレナは「あのさ」と少し躊躇いを見せた。
「どうした?」
「今日、一人で寝たくない」
「えっと、そ、そうか。家がどうのとか不安だもんな」
「ごめん」
「気にするな」
「服は脱がないし脱がせない。いいでしょ?」
「脱がされたら風邪ひいちゃうからな」
「そうじゃない」
エレナは大袈裟に肩を竦めて首を振った。カティはややしばらくして「ああ、そういうことか!」と声を上げた。それにエレナは逆に驚いて、やがて声を上げて笑い始める。
「あなた、どこまで計算してるの。天然?」
「天然は心外だな」
「計算してそれ?」
「それも心外だ」
カティはムスッとした表情を見せた。が、エレナのなんとも言えないふにゃふにゃした表情を見て、たまらず吹き出す。
「なんだよ、その顔」
「キスするよ?」
「だめ。ていうか、どういう文脈だよ」
「だってしたいもん。めちゃめちゃどろどろしたやつ」
「どろ……ってだめ。ファーストキスはあと三十年はとっておきたいね」
「何、その三十年って」
「なんとなく? というより、アタシに恋人とか想像できないよ」
「私は?」
「恋人じゃないのは確か」
「ちぇ」
エレナはわざとらしく舌打ちすると、カティと腕を組んだ。
「お背中流しますわ」
「……自分でやる」
カティはつとめて無愛想に応えたのだった。