03-01-01:わかりやすい文脈が必要なんだ

静心 :chapter 03 コメンタリー-静心
第三章ヘッダー

これは「#03-01: ディーヴァの夢は醒めゆく」に対応したコメンタリーです。

さてさて、不穏な空気を引きずった状態で、#03-01に突入します。この第三章から、いきなり空気が重くなりますね。大演説の類も出てきますし。

そんな感じで、艦隊戦は続く。しかも敵は通常艦隊に加えて、超兵器オーパーツであるナイアーラトテップが12隻。1ダース! 超大戦力です。ちなみにナイアーラトテップは1隻でも通常艦隊1個を撃滅するほどの威力を持っています。

……という危機的状況なのですが、レベッカ。ウラニアの巨体は最後方に控えているだけで、全ての指揮を卒業・配備されてまだ間もないV級歌姫ヴォーカリストエディタ・レスコにまかせてしまいます。

『エディタ、指揮をユー・ハヴ・ザ・タクト
了解アイ・ハヴ前衛アドヴァンストC級歌姫クワイアPTC完全調律コーラス発動レイズ! V級歌姫ヴォーカリスト、および直属部隊、突撃スタンピード!』

このユーハヴ、アイハヴは結構たくさん出てくる表現です。

そして敵の航空部隊が襲来します。エディタの重巡洋艦アルデバランとか、拡散粒子ビーム砲を始めとする、高い対空攻撃能力を持つんですが、まだエディタは使いこなせてません。他の歌姫セイレーンたちも実戦配備からさほど日が経ってないため、通常戦力の航空部隊にですら被害が出ます。

小型艦が撃沈された時、マリオンはぶん殴られたみたいな衝撃と不快感を覚えます。これが、「断末魔」です。今後ずーっとつきまとうこの「断末魔」。コレも一つの作品のテーマだったりしますね。ちなみにこれ、セイレネス・ロンドではもっと早い時期に来ているんですが、「静心」ではエディタたちは卒業してからの実戦配備になっているので、このタイミング。

被害を出しながらも、エディタ率いる戦闘艦艇たちは敵艦隊を押しまくります。が、やっぱり被害が出る。つまり、彼女らの同級生たちが死んでいくわけです。しかし――。

『アーメリング提督! 被害が!』
 エディタの右腕でもあるトリーネの叫び。
『提督――!』
作戦続行キャリー・オン

レベッカは短くCarry on.としか言わないわけです。この短い言葉の中にレベッカの葛藤とか苦悩とか、そういうのがアレしてますが、アレでしょうか。ええ、アレで。

その後、アーシュオンの航空機が体当たり攻撃を仕掛けてくるという描写もありますが、アーシュオンって割と伝統的に自爆攻撃を推奨してるんですね。某大戦中の某国のように。そして某国の某兵器のように、実際にそれ専用の兵器も出てくる。「ナイアーラトテップI型」っていうんですけどね。結果、合計6人ものC級歌姫クワイアが戦死します。それだけの数の「断末魔」も放出され、中継放送にのってヤーグベルテ全土に届けられるわけです。この瞬間、ヤーグベルテの人々の意識はまた変容しています。

そして敵が撤退を開始……という状況になってレベッカが冷徹に言い放ちます。

『――殺し漏らさないように』

一人残らず、逃げる者も投降するものも殺せと言うわけです。そこでエディタが「お言葉ですが」と反論しようとするんですが、ここでエディタの意志の強さと言うか信念が垣間見られたら良いなぁと。だって、彼女未だ18~19ですよ。それが10近くも年上の超絶カリスマ、しかも国家最強の一人に真正面から意見しようとしているんですよ。

これ、最終盤でレベッカがエディタに、そしてエディタがレオンに変わって再現されるんですよね。

この殺戮劇の開幕を命じるレベッカの言葉を聞いて呆然とするマリオンに、レオンが冷静に言います。

「レベッカは、戦争をにしようとしている」

そして、

「戦争の、に戻そうとしている」

と。

一方的な殺戮が当たり前となってしまった、「ディーヴァを押し立てた戦争の皮をかぶったジェノサイド」に対する一種のアンチテーゼとして、レベッカは「虐殺を命じた司令官」という糾弾を甘んじて受けようというわけです。

しかしそんな中でもレオンは冷静です。

「敵も、味方も、戦えば共に大きな傷を負うんだってことを見せようとしている。新しいを作り出そうとしている」
「でも、そんなことしたら、歌姫セイレーンも、乗組員クルーもたくさん死んじゃう」
「……それが、戦争だ」

というか、冷静を装っているだけで、実際は内心グラッグラなんですけどね、レオン。マリーの前だからそうでなければならないっていう自意識というか、そういう思いが彼女をまっすぐに立たせているだけで。

「こっちに攻撃を仕掛けたら、絶対に一人も生きては帰れない――レベッカは全世界にそれを発信しようとしている。同時に、ヤーグベルテの国民には、味方もたくさん死ぬんだぞということを伝えようとしている」
「でもそれじゃ死ななくてもいい人まで!」
「そうじゃないんだ!」
 レオンが怒鳴った。私は思わず身をすくめてしまう。筋肉という筋肉が強張こわばってしまう。アルマは俯いたまま何も言わない。
「死ななくてもいい人ってなんだ? じゃぁ、死んでもいい人がいるのか?」

この最後のセリフは絶対に言わせないとならなかったんですよね。「死んでもいい人がいるのか」っていう。これ、レオンにしか言えない、正義のセリフだと思うんですよ。レオンって基本的に「騎士」、つまるところヒーローなので、思考の中心がジャスティスなんですよ。

だから、感情を殺してでも、こういう事を言う。

「これはね、戦争なんだよ。戦争であるべきなんだ。一方的な殺戮劇なんかであるべきではないんだ。お互いに傷を負う命がけの戦いであるべきなんだ」

こういう事を――レオンはそういう使命感に動かされているところがあります。ある意味「若さ」の発露でもあるんですが、それ以上に「マリオン、君は間違えているんだ」ということを伝えなきゃならないという思いもあったりするんです。まぁ、これも「若さ」ですね。

その言葉に息を飲んだであろうマリオンに対して、アルマも言います。

「あたしたちは、ヤーグベルテの国民は、D級歌姫ディーヴァたちに優しくされすぎた。ヴェーラとレベッカを返り血まみれにして、あたしたちは笑っていた。二人が手を汚してあたしたちに平和を作ってくれていることを、あたしたちはなんだと誤解していた。それでもヴェーラとレベッカは、笑顔を作り続けていた。あたしたちはその笑顔の仮面ペルソナを都合よく解釈して――甘えていた」

アルマはどっちかというと荒んだセリフが多くなってきます。辛い生き様をしてきてますからね。論理の中心は常にドライなところにあったりします。もっとも、それをうまく覆い隠したりポジティヴに利用できる感情の振れ幅もあるので、第五章の某シーンにつながったりもします。

そして、レオンは言うわけです。

わかりやすい文脈イージー・コンテクストが必要なんだ、国民には。声の大きい少数派ノイジー・マイノリティをも黙らせるに足るだけの簡単な文脈が。それがなければ、誰も目を覚まさない」

「イージー」と「ノイジー」で韻を踏ませていたりもしますが、ここの「わかりやすい文脈」という表現が作品のテーマでもある「とても終わりを作ろう」にかかってくるんですよ、ええ。レオンは何だかんだでちょいちょいキメ的なセリフを持っていきます。

……という沈鬱な空気の中で次に続くわけですな!

→次号

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