これは「#05-01: レネ・グリーグの実戦配備」に対応したコメンタリーです。
そして時間が一気に流れます。1年くらい。マリオンは3年生になり、レニーが卒業。そして艦隊に配備されると。そしてその期間をかけて、マリア・カワセ大佐が事実上第六課のトップに立ちます。もちろん名目上はハーディ中佐が統括なんですが、実権のすべてをマリアが奪い取った――と、マリオンは解釈しているわけです。また、その後押しをしていたのがイザベラとレベッカ……という噂ですが、これはぶっちゃけ事実です。
レニーに与えられたのは、ヤーグベルテ三隻目の「戦艦」。名前はヒュペルノルといいまして、これが恐ろしく未来的なフォルムなんですな。で、コレをぎゅーっと小さくしたのが、後にマリオンとアルマに与えられる「制海掃討駆逐艦」アキレウスとパトロクロスなわけです。科学技術はちゃんと継承されていきます。後に出てくる「エネルギー変換方程式」実用化のためのテストベッドでもあります。
で、レニーが鬼のように強いと。そりゃそうです。D級歌姫に次ぐS級歌姫ですから。その下の階級であるV級歌姫とは圧倒的に格が違うんです。エディタたちが中心になって戦っていた時代が弓矢の時代だとすると、レニーは突如現れた重機関銃のようなものです。それで言うと、イザベラたちは戦車一個大隊みたいな感じか。ばったばったと敵を薙ぎ倒し、そして国民は皆こぞってレニーが敵を殲滅、つまり殺戮することを褒め称えるわけです。
さすがのレニーさんもくたくたです。一方的殺戮をしなければならない上に、セイレネスは「敵が見える」んです。その精神ダメージはいかばかりかと。そんなレニーさんの癒やしの場所が、アルマ、マリオンと過ごすこの部屋というわけです。マリアの根回しで卒業後もレニーが住めるようになっているんですが、それはこの効果を見越してのことでもありました。ハーディだったらそこまではしなかったでしょうね。
「私は提督たちほどは強くない。戦場に出て、それが痛いほどわかった」
「それはレニーが優しいから――」
「仮にそうだとしても。イザベラも、レベッカも、とても優しい。だけど、二人とも強いわ。その手を真っ赤に染め上げても、なお優しくいられるくらい、強いの」
レニーは繊細で敏感、その上戦場で「セイレネスを発動しながらイザベラたちと共に戦った」ことから、二人のことをますます理解するようになっています。またこの「手を真っ赤に染め」というのは、第八章でのアルマのセリフに響いてきます。
「セイレネスで人を殺すとね」
「見えるのよ。殺した人の顔が。声が。過去も、未来も、大切な人の悲しみや苦しみも、全部見える。強引に意識の中に捩じ込まれてくるの」
これはディーヴァであるイザベラとレベッカしか知らなかったことなんですね、実は。そして二人は親しい人にしかその事実を明かさなかった。だから、レニーにとっては「聞いてないよ!?」というような話だったわけです。レニーの推測通り、これは「かなり力のある歌姫」にしかわからないことなんです。
それを聞いてマリオンさんは震えます。
倒した人の顔が見える? 過去や未来まで見える? それって、自分が摘み取ってしまう命のその全てが見えるっていうこと?
イエス、ザッツライトなのです……。酷いシステムですね。実に酷い。
「でも、怖いのはそれだけじゃないの、マリー」
「……というと?」
「慣れていくのよ。心が動かなくなっていくのよ」
「心、が?」
「ええ。人を殺しても、心が動かなくなっていくのを感じるの……」
ここはもう、推して知るべしというところですね。人を殺す、その最初には激しい苦痛や罪悪感があったと思うんですが、段々と「割り切れる」ようになってきちゃうんですね。人々は期待するし、称えるし、勝利を当然だと思うし、やらなかったら味方がやられるし……そんな理由を列挙していくうちに「しかたないよね」という気持ちに近づいていく。レニーはそれにリアルタイムで気付いてしまったわけです。変容していく自分に恐れを為してしまったと。
そんなふうに落ち込んでいるレニーに、アルマは「風呂」を提案します。士官学校の最上階には大きなお風呂がありましたね。で、お風呂に移動して、三人でまったりと。やっぱりこういう時はお風呂ですよ、ええ。
マリオンはため息を吐きつつ。
「ヴェーラ――イザベラも、レベッカも、すごいものを、とんでもないものを背負っていたんだね」
「ええ。あんなの想像もできなかったわ、マリー。あの二人がどれほどの物を背負ってきたのか、背負わされてきたのか、やっと少しだけ理解できた。でもね、それに……慣れていくのよ。敵艦を沈めることを、敵を倒すことを、人を殺すことを、なんとも思わなくなっていく自分がいるの」
レニーは先程と同じようなことを繰り返します。これはレニー自身がそれに気づいた時の衝撃の大きさというかガッカリ感とかそういうのを表すための繰り返しですな。
しかし、そんなふうに落ち込むレニーに、我らがアルマさんが言います。
「自分を守るためなんじゃないかな、それは」
「そんなもの、真正面から受け止め続けていたら心が壊れてしまう。だから、そうならないために心が鋼になって自分を守っている。だからレニーの心は生きているし、まだ生きたいと思っているんだって言えるんじゃないか?」
アルマさん、ちょっと回りくどいですけど、「レニーは間違えてない」ってことを言っているんです。全肯定なんですね、アルマは。難しいことを考えているように見えて、結論は極めて明確なのがアルマさん。
優しく言われてレニーさんついに涙。
「ごめんなさい、なんか、帰ってきて緊張が緩んだのかなぁ。ダメだなぁ、私。みんなつらいのに。私だけ泣いてたら、ダメなのに。提督方はもっと――」
責任感強い人、あれこれ考えちゃう人、自分を中心に置けない人……そういう生真面目な人が陥りがちな思考に、レニーさん見事にハマっています。しかし、そこでアルマさんが間髪入れずに言います。
「悲しさなんて、つらさなんて、相対論じゃないし」
ここからアルマさん主人公。この「相対論じゃないし」っていうのは書いててごく自然に出てきたんですよね。厳密に言うと「相対的なものなんかじゃないし」なんですけど、ここでは字面のシンプルさと語感を考えて「相対論じゃないし」にしています。
「レニー自身が泣きたいって言ってるんだろ。泣かせてやりなよ。他人の心配はその後でいい。涙が出るうちに泣いとかないと、泣き方を忘れちゃうよ」
ここで次に続く長台詞のサマリをしています。まずはアルマの感情から迸った言葉がこれ、ということです。「他人の心配は自分を泣かせてあげた後にしろ」と。
レニーさん感極まってアルマに抱きついて泣くんですけど、そこでちょっと蚊帳の外にいるマリオンは決意します。
レニーをここまで追い込んだもの――戦争とかそういう一切のものが憎いと思った。こんなものは、さっさと終わらせなきゃと思った。
このシーンが、後のマリオンの行動の強烈な原動力になっていくわけです。
そしてアルマの長台詞。ちょっと前で圧縮してるものを一気に解凍。全文いきますよ。
「あのね、レニー。他人のつらさを感じようと頑張ってみた所でね、自分のつらさが変わるわけじゃないんだよ。自分が誰それと比べて相対的につらいとか、つらくないとか。そんなの、何の意味もない考え方なんだ。だからね、今、自分がつらいと思うなら、つらいんだ。絶対につらいんだ。程度の問題じゃない。傷の深さの問題じゃない。つらいと感じたら、つらいんだよ。誰が何と言おうと。誰がどんな状態であろうと。
他人はね――たとえそれが恋人だろうと――関係なんてないんだ。心のつらさは自分のものなんだよ、レニー。他人にとやかく言わせちゃならないものなんだよ。
それにね、レニー。他人の事を考えたりなんかして、自分の心の悲鳴に耳を塞いでもいけないんだよ。他人の痛みを、自分の耳を塞ぐ理由なんかにしちゃいけないんだよ?」
もー、ここはもう、なんだほら、説明不要でしょと。これって物語の中だけじゃなくて、リアルな私たちの世界でもあるじゃないですか。「どこそこの国の人はもっとつらいんだから」とか「戦争してる国とくらべれば平和なのに贅沢言うな」とかもっとスケール小さくして「クラスの✕✕ちゃんはもっと大変な家庭環境なのよ」とか、そういうふうに「誰かと」「相対的に」くらべて、自分や他人を騙している。そんなのがごく当たり前に行われてますよね。
何度も書いてるように、アルマは決して幸せな出自じゃない。家族も友達もみんなアーシュオンのISMTで失っているし、戦災孤児を集めた施設でも決して幸せな生活をしてきたわけじゃなかった。だからこそ言えることなのかもしれないですし、だからこそ重さがあるのかなと思います。「他人の痛みを、自分の耳を塞ぐ理由なんかにしちゃいけない」というセリフは、多分、士官学校に入る前の自分にも言い聞かせているのだと思うんですね。なかなかヘヴィ……!
アルマさんカッコイイなぁと思うんですわ。18歳ですよ、この時。
「あたしにとってレニーは大事な人。だからこそ、あたしはね、レニーに泣くのを我慢して欲しくない。涙をこらえて唇を噛んでるようなレニーは、見たくない。本当の優しさを怖い顔なんかで塗りつぶしてるレニーなんて見たくないんだよ」
「本当の優しさを怖い顔なんかで塗りつぶしてる」というのは、実はレニーだけじゃなくて、イザベラやレベッカを意識して言っていたりします。みんな作った顔で生きてる、それはあまりにつらいよねと。
そのアルマの想いのこもった言葉を受け止め続けているうちに、レニーはアルマに「好きだ」と告白するわけです。この三人、もうルームメイトとして二年もの付き合いになるわけです。互いに知るべき所はもう知ってる――そういう関係なわけですね。だから別に急展開でもなんでも無いと。ただ、アルマさんいきなりキスするとかなかなかやるなと。マリオンといちゃつかなくなったから、アルマさんも相当ムラっと来たのかもしれません。積極的な子ですからね、アルマさん。
そしてアルマさんはおもむろに上の句を読み始めますが、すぐにレニーは応じてきます。
「人はいさ心も知らずふるさとは――」
「花ぞ昔の香ににほひける」
教養レベルが高いんですね、この子たち。これは紀貫之の詠んだ歌ですね。ここでの意味的には「あなたの心はどうなんだろう。昔から慣れ親しんだ私たちのこの関係は、いまだ初めて出会った時のように咲き続けているけれど」という感じです、二人の間では。……正式な翻訳や解釈はググってください(笑)
そして今度は仕返しと言わんばかりにレニーが詠みます。こっちは中納言朝忠(藤原朝忠)ですね。
「逢ふ事の絶えてしなくは中々に――」
「人をも身をも恨みざらまし……ってレニーってば!」
で、コレが後のレニーの悲劇の前フリです。上の句は「もう絶対に会えないと決まっていたなら」で、下の句は「こんな運命を恨んだりする必要もないのに」という感じ。不吉な感じがしますよね。でもこれを詠んだ時のレニーは「めったに会えないなんてことはないから、こんな運命を恨んだりする必要もないよね」という幸せな感じの気持ちだったんですね。でも、アルマさんは不吉な予感を覚えてツッコミを入れているわけです。
「あたしの方が待つ人になるんだから。しっかり帰ってきてよ」
「帰ってきた時に浮気されてたら、呪うわよ、アルマ」
完全にフラグですね。ええ。フラグです。
こっから先、マリオンさんはずっと賢者状態になっていて、二人の熱い会話を聴き通すわけです。ここはもうセリフが全てなので、是非本編をお読みください。ぜひね!!!
しかし、マリオンさんスキをついて割り込んだりします。頑張ったな、マリー。
「私たちにできるのは、この国と未来を守ることだけだと思う。敵が強いなら、私たちも強くなる。そうしてただただ耐える。私たちが強ければある程度の抑止力にはなると思うよ。けど、それだけ。それだけだ。仮に敵を完膚なきまでに叩き潰すことができたとしてね、レニー。その結果、作られる平和に意味なんてある?」
マリオンは自分たちは「抑止力だ」と主張します。レニーは「脅威を取り除く必要がある」と主張しているわけです。マリオンは言います。
「アーシュオンが、その、滅んだとしても、敵が変わるだけなんだ。私たちがセイレネスという技術を有する以上、どの国だって敵になり得るんだ。暴力で手に入れる平和に、ろくなものなんてないんだよって私は思う。私たちはただただ守り続ける。そして、ヤーグベルテの人々に訴え続ける」
ここでマリオンさんさりげにすごく良いこと言っているんですけど、あんまり読者さんの印象に残ってない様子(笑) これですよ「暴力で手に入れる平和に、ろくなものなんてないんだよ」という。後にマリオンさんは正式に艦隊司令官にまでなるんですけど(「静心」の後の物語では最終的に海軍中将か大将になるはずだった)、そこでもこの考え方はずっと貫くんですよ。平和な時分じゃなくて、戦時中、まして自身も戦災孤児であるにも関わらず、というところがエモくないですか! マリオンさんエモくないですか!! と思うんだけど、ほんとこの子、影が薄いんだよなぁ。周囲の人たちが強力過ぎる。うん。
そのマリオンの言葉に対しても、なおも首を振るレニーに、アルマが言います。
「言葉を棄てちゃダメだよ、レニー」
このフレーズ、この後二度かな? でてくるんですが、とても重要なフレーズだと思うんですよ。言葉を使って理解し合おうとするのをやめちゃだめだと。諦めて棄ててはいけないと。「捨てる」じゃなくて「棄てる」を使ってるのはちょっとした意味があって「ぽいっと軽く捨てる」んじゃなくて「考えた末に棄却しちゃう」という意味で「棄てる」を使っています。というのは、アルマ(たち)がこの言葉を発する相手は「考えなしに言葉を放棄するなんてことはない」人たちなので。そしてこのフレーズはマリオンにも刻まれるんですね、ここで。
「マリーの覚悟のほどは?」
「私は、レオンを守りたい。突き詰めたら、結局はそれだけだよ、アルマ。その結果として平和が来るかもしれない、そんな程度の話だと思ってるんだよね。——私、酷いかな?」
アルマに覚悟を訊かれたマリオンは、素直にこう答えます。自分の力では「平和」は作れないと知っているんですね、マリオンは。コツコツと想いを貫き積み上げた結果として「平和になるかもしれない」と。
この辺がマリオンの誠実さかなと。力を使えばどうにかなる、とも、我慢し続ければどうにかなる、とも言わないところが。ちょっと前で「私たちは抑止力」と言っているんですけど、ここではそれにほんのちょっと盛ってますね。彼女が大言壮語を吐けない性格なのは既にご存知のとおりと思いますが、ある意味でマリオンはとても優れた平衡感覚を持っているとも言えます。
で、そのマリオンの言葉に対して、アルマはこう答えるわけです。
「――あたしはそれでいいと思う」
ここで「あたしは」という所がアルマだと思うんですね。「あたしも」じゃないし、「(主語省略で)それでいいと思う」でもない。つまり「あたし」という一人の人間に限定した意見を言っているわけです。そしてここにはレニーは含まれてない。つまりアルマは、レニーに「そうあるべき」という強制・強要をしていないわけです。アルマという「自我の確立した一人の人間」の芯の強さとしなやかさがこの「あたしは」に出てればいいなと思いながら言葉を選んだものでした。
というわけで、次でいよいよマリオンたちは軍に配備されるわけです。