08-05-01:彼らが理解できるようにするためには、わかりやすいピリオドが必要なんだ

静心 :chapter 08 コメンタリー-静心
第八章ヘッダー

これは「#08-05: 背明のセイレーン」に対応したコメンタリーです。

年は明け、2099年1月1日、運命の日です。

今回も総力戦の構えで出陣したマリオンたちでしたが、今回はイザベラの展開予測が成り立たず、第七艦隊もエウロスも、広域索敵を行わざるを得ませんでした。それもこれも誰かさんの策略かと思わずにいられませんが、どうなんでしょうね。

エウロスにしても戦闘終結に間に合うか否か……。

この微妙な距離感が後に生きてきます。

マリオンたちがイザベラに気づいたのは超極至近距離。イザベラはセイレネスの力で徹底的に艦隊を隠蔽していたのですね。で、マリオンたちに合わせて動いていたと。完全にイザベラ様が優位です。

レスコ中佐。私とアルマが前に出ます。私たちがセイレーンEMイーエム-AZエイズィと当たります」
『了解した。しかし、こちらの指揮はこちらに任せてもらう。いいな?』
「……お任せします」

もはや何も語るまい、そういう関係性がもう既にできているのですね、この二人。

 背明はいめいのセイレーンEMイーエム-AZエイズィは、雄弁に沈黙を語る。いだ海にその白銀の巨体を休ませていた。その後ろには巡洋艦が二隻控え、さらには今や十数隻となったC級歌姫クワイアたちの小型艦が並ぶ。

コメンタリーの「07-02-01」でも言及してますが、ここでも「撞着語法」が使われています。ちなみに英語ではoxymoronと言います。「雄弁に沈黙を語る」のところがそれですね。また、タイトルにもなっている「背明のセイレーン」の「背明」ですがこれは「せあき」と読むと衣服の話になります。「はいめい」と読ませるのは私の独自の、いわば「造語」だと思います。一応ググりましたが、多分なかった。

これ、どこから来たかって言うと「背暗向明はいあんこうみょう」という密教の言葉です。「文字通り暗いものに背を向け、明るい方を向こう」という。それの意味をまるきり反転させると「背明向暗」になりますね。そこから最初の二文字をとったのが「背明」です。もちろん物理的に朝日を背負っているという意味もあります。が、その物理だけの話じゃなくて、もっと心理的かつ哲学的な意味を持たせています。イザベラは「明るいもの、楽しいもの」に敢えて背を向けて、社会の暗部・人の酷さに向き合うことを選んだという象徴的な表現とも言えます。

また、それに向き合うマリオンたちは、必然的に「闇を見ることなく、光に向かう」という希望の象徴ともなります。また、イザベラが「背中に遺した光(=未来に託した光)」に向かっていく、という意味でもありますから、ここの描写はとっても重要です。

アルマは光を背負ったディーヴァに呼びかけます。

『あなたの怒りはあたしにも理解できる気がする。理解できてると思う。でも! どうしてこんなにたくさん死ななきゃならなかったの? どうしてこんなに殺さなきゃならなかったの?』

その問いに、イザベラは間を置きます。色々去来するものがあったんでしょうね。そして答えます。

『この身勝手な戦いセルフィッシュ・スタンドのために、あまりにも多くの人が死んだね』

と。

もうやめようと言うアルマの言葉を拒絶するイザベラ。

『そうじゃないと、ベッキーに会いに行けないし、合わせる顔もない』
「そんなことない! なんとかするから、だから――」
『このに及んで恐れるものなどないよ。わたしについてきてくれてるみんなも、同じさ』

この言葉は、アルマには「巻き添え」のように聞こえたんでしょうね。

『死んで良い人なんて、どこにもいない!』

アルマの言葉は正しい。しかし――。

『画竜点睛を欠くわけにもいかないのさ、アルマ。が理解できるようにするためには、わかりやすいピリオドが必要なんだ』
『そんなことのために死ぬっていうの!? おかしいよ、そんなの!』

アルマにしてみれば「そんなことのため」なんですね。もちろんそれを「無駄死に」とは言いたくない。けど、そんなことのために人が死ぬなんておかしいと、アルマは純粋な正義感から叫ぶわけです。

そして「わかりやすいピリオド」。後でも出てきますが、これが本作のキャッチコピー「とてもやさしい終わりを作ろう」なんですね。やさしいはgentleではなくeasy。優しいではなく、易しい。

 暁の気配が、海面を鏡のように輝かせる。遠く浮かぶ朝焼けに燃えた雲の峰が、高らかに夜明けを告げた。

さりげに↑の描写がめちゃめちゃ好きです。はい。自分が書いたものながら。

マリオンの視点ですから、マリオンは「もう戻れない。止められない。時代は進んでしまうんだ」と感じたということです。

そしてイザベラ様は断罪します。断罪に「コンヴィクション」とルビふってますが、convictionは一般的には「有罪判決」という意味で使われる英語です。

はね、自分たちにとって都合の良い現実しか見ない。都合の良い解釈しか理解しない。探さない。見つけない。見つけられない。わたしがこうして力を見せつけたところで、はその力がに向けて振り下ろされようとしていることに思い至る能力など持たないんだ。自身への脅威となるものであることなんて、想像すらできやしないんだ。そしてがそうである限り、わたしたちはにとっては都合の良い道具――快楽のための玩具に過ぎない。だからわたしは今、彼らを罪人つみびとと断じよう』

08-04でマリアが

「わかりやすい言葉しか、国民は聞こうとしない。都合のいい言葉しか、理解しようとしない。単純な設定でなければ、想像することもできないのよ」

と言っていますが、それを拡張したのがこのイザベラのセリフです。その怒りや無念さ、そして未来に遺される者たちに課せられる事物への不安……そういうものがぜになっている言葉です。

『だからって、でも、そんなの……おかしい! 誰も望んでないのに人殺しをするなんて。人殺しをさせるなんて! そんなのただのの供給作業じゃないか!』
「ヴェーラ、お願いだから、もう、殺させないで。私たちのこの剣は、仲間同士で切りつけ合うためのものじゃない!」

アルマとマリオンは交互に言います。甘い正義の言葉ですね。イザベラの血にまみれた言葉とは比較にならない。言ってしまえば上っ面の説得なんです、これ。

そしてそれをすべてひっくるめてイザベラは「茶番」と言います。そしてそんなマリオンたちを見て、イザベラは懐古します。

『きみたちは純粋だね、マリー、アルマ。まるで昔のベッキーを見てるみたいだ。ああ、わたしもそうだったのかなぁ』

これ、懐かしんでいるように見えて、マリオンたちへの警告でもあります。「わたしもかつてはきみたちみたいに純粋だったかもしれない。けど、いま、こうして悪をなさざるdo wrongを得ない状況にいる。他人事ひとごとではないぞ」という。

そしてイザベラの、否、ヴェーラの戦艦、セイレーンEM-AZが変形していきます。もちろん「雷霆ケラウノス」を撃つときのフォームへとです。同時に、アキレウスとパトロクロスも変わっていく……。

『そろそろ頃合ころあいだよ。邪魔セコンドが入らないうちに、はっきりとしたピリオドを打とう。誰にでも理解できる、。わたしの想いと、きみたちの正義が掛け合わされた結果、何が生み出されるのか。
 このどうにもならない現実。こんな現実を、きみたちには変えられるのか? 愚昧ぐまいに見せつける何かを作り出せるのか? 這い寄る混沌どもを薙ぎ払えるのか? さぁ、今、わたしに見せて欲しい! わたしの期待に応えて欲しい! そして――』

はい、ここでハッキリとキャッチを回収。前述の通り、「easy to understand」という意味での「とてもやさしい」だということがしつこく明かされていますね。

そして「這い寄る混沌」。クトゥルー好きな方なら一発で分かると思いますが、ええ、そうです、クトゥルーです。「セイレネス・ロンド」をチェックされた方なら分かると思いますが、この世界ガチで「神様」いますからね。「悪魔」も。まぁ、あとは超兵器オーパーツはその全てがクトゥルー由来の名前ですし。

そしてなおも説得を続けようとするマリオンたちを拒絶して、ヴェーラは再びイザベラの顔に戻ります。

『イザベラ・ネーミアより、わたしに続く者たちへ! ただちに、戦闘行動を開始せよ!』

そして殺戮撃の幕が上がる――。

→次号

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