これは「#04-02: 女帝の右腕・エリオット中佐とのダイアログ」に対応したコメンタリーです。
で、鬼神・エリオットの演説が始まるわけです。
と、その前に、色々と現今の軍の体制や、歌姫の扱いかたに大層不満をいだいている様子。でも、こんな発言が公に許されるのも、エウロス飛行隊という最強集団に所属しているからなんですな。実績と実力を兼ね備え、知名度も十分。立つべき所に立っているからこそできる発言でもある。
ライヴだのグッズだの、戦闘映像の配信チケットだの音源の販売だの……。
ちょいちょい出てきますが、歌姫たちは在学中から戦闘補助の他にもアイドル活動めいたものをやらされます。軍に配属になった時に、より一層熱狂的に受け入れられるようにするためです。これはヴェーラたちの時代から続いているんですが、確かに「何の組織か」と問いたくなる気持ちもわからなくもない。
あと、余談ですが。
隣で匣に背中を預けているレオンも
ここの「匣」って表現。これは京極夏彦氏の「魍魎の匣」という小説からのものです。アレを読んだ人は「匣」のイメージが付くと思うんですが、まぁ、そういうのを意識した漢字選びです。
そしてエリオットの舌鋒がギアを上げていきます。
「政治屋の票集め、軍事行動の正当化、民主主義を逆手に取った戦時体制の維持――ヴェーラやレベッカが出てくるまでは、我が国ヤーグベルテは国家存亡の危機に晒されていたが、今はご存知の通り。ヤーグベルテの国民どもは、その多くが政治に関心すら持たず、我が世の春を謳歌している。一部の人間に血を流させて、自分たちは呑気に戦場のライヴ配信で盛り上がってる。今や、戦闘で歌姫が死んだりすれば、断末魔の配信に誰も彼もが群がってくる。異常な状況だぜ。違うか?」
「あげくにまだ学生の二年目や三年目さえ、戦闘サポートに使っているじゃねぇか、参謀部は。正式に軍人になったわけでもないのにな。なのに国民はそれに異議を唱えない。反歌姫連盟の連中だけだ、それはおかしいと主張するのはね」
ある意味これ、マリア・カワセ大佐に対するアテツケのような感じでもあります。怖いもの知らずのエリオット中佐ですが、彼は彼なりに哲学、信念の人なので。ある意味「強すぎる正義は自分を焚くぞ」と言われる一人かもしれないですね。もっとも、イイトシですから、そういう意味での暴走はしないんですが。何だかんだで頭いいですからね、エリオット氏は。
そして、吉田茂氏による「防衛大学校第一回卒業式の訓示」(ググれば出てくる)を強く意識して書いたパートが到来。
「軍隊なんてな、本来、国家にとってのお荷物であるべきなんだよ」
「兵隊は穀潰し、無駄飯食らいの連中だ――そんな風にわけのわからねぇ知識人とやらにやいのやいの言われるようになって初めて、国は平和になったと言えるんだ。軍人が日がな訓練に明け暮れて、税金の無駄だと言われて、弾薬の調達にさえ批判や非難を受けて、言い返すネタもないままにひたすら耐えて、そして軍隊全体が腑抜けになっちまうまで、平和が来たんだなんて言えねぇんだよ、本当は。言ってちゃいけねぇんだよ、本当は。
一旦ここで切りますが、ここは本当に私(作者)自身が強く思っているところで、吉田茂氏の訓示を目にした際には、強く感銘を受けたものでした。現今の日本国に於いてはまさにこんな状況で、多分平和と言っても良いのかもしれません、一般的には。私は今の日本国が「平和」とは思っていないし、もし「平和」に見えているんだとしたら、それは自衛隊等国防に関わる方々の不断の努力の成果だと思っています。でもまぁ、平和に見えてるから「自衛隊不要論」なんか出てくるんでしょう。ええ。思うところはたくさんありますが、それはそれとして。ただ、ヤーグベルテと日本国で圧倒的に違うのは、ヤーグベルテは「明らかに戦争していること」ですね。わかりやすい形で。だからこそ、エリオットの次の言葉に繋がるわけです。
なのに、なんだ? 奴らは軍には常に勝利を求め、歌姫には凱歌を求めやがる。その結果生み出された自身の安全を見て、今は平和だとかなんとか抜かしやがる。作ってもらった平和、味方の血の傘で守られている平和、その事実からは簡単に目を逸らしやがっている」
後半部で「傘」という表現を使っていますが、これは安全保障について少し詳しいくらいの人であればすぐピンとくると思います。「作ってもらった平和」という表現もなかなかコークスクリューパンチになってるんじゃないかと。
「あまつさえ、その麻薬みてぇな陶酔効果のある断末魔を生み出すために、歌姫には適度に死ねと、奴らは罪悪感もなしに言い放つ。俺たちが命がけで守り抜いている平和にあぐらをかきながら、実際に戦って血を流す軍人、歌姫、その家族や恋人――平和ボケした連中は、そういう人間を嗤いやがる。軍人の命が消えるその瞬間をスナック菓子をつまみながら、阿呆面晒して眺めてやがるんだ」
ここはある意味「静心」の真髄とも言えるセリフだと思っています。コレを本当に強く感じたのが、私が小学生の頃に勃発した「湾岸戦争」でした。私は小学生ですから、ステルス爆撃機に感動したり、艦砲射撃に興奮したり、スカッドミサイル vs パトリオットミサイルを(弾道ミサイルの何たるかを)よくわからないまま友達と話したり。小学生ですからまぁそんなもんといえばそんなもんだと思うんですが、この時は連日連夜の空爆の映像を楽しみにしてたと思うんです。わーすげー、かっけー。それをもうちょっと年齢が行ってからふっと思い返した時に「なんてこった」とものすごくつらい気持ちになったのを覚えているんですね。だってドカーンって爆発、夜を抉る閃光の下では何人も死んでるんですよ。中には巻き込まれただけの子どもとかもいたと思う。
だけど私は、そして多くの大人たちは「対岸の火事」どころか「エンタメ」としてそれを見ていた。いつしか死者数は数になり、ミサイルという破壊兵器は「一発いくら」。味方(米軍)は無傷で敵(イラク軍)は何人死んだ。そんな感じで、「人」じゃなくなってたんですね、私(たち)の中で。遠くの国での戦争は。
米軍兵士、あるいはイラク軍兵士の思いとか、喪失感、あるいは恐怖、苦痛、そんなものに、私は思いを馳せただろうかと。実際に派遣された自衛隊員たちは生きた心地はしなかっただろうし、日本で待つ家族の気持ちや、送り出した時の心情は如何ばかりか……そのようなことを本来推して知るべしだったのに、いったいどのくらいの人がそれを慮っただろうかと。戦争が一刻も早く終わりますように――本気でそう祈った人が一体どれほどいたんだろうかと。日常的なエンタメの一つとしていなかったかと問われたら、私には否定ができない。
安全圏にいた私たちは、ご飯を食べながら、あるいはおやつでもつまみながらニュースの映像を見て、クッソくだらねぇ感想なんかを言い合っていたんじゃないかなって思うわけです。そして多分、今起きてる戦争や、これから起きる戦争でも、絶対に私たちの多くは「ひとごと」感から抜けきらないと思います。
エリオットは当然ながらその「兵士」の一人ですし、何十人もの命を預かる立場でもあるからなお、この発言が出てきたんじゃないかなと思います。歌姫だけを戦わせてワーワー外野がわめきたてて、あまつさえ「断末魔のために死ね」という輩すらいる。死んでくれないと最高のドラッグ(しかも合法)が手に入らない――となればそう放言する輩が出ないなんて言わせない。というわけで、その現状にエリオットブチギレてるわけです。
私の愛するゲームに「ゼノサーガ」ってのがあるんですが、そこでメイン登場人物の一人、Jr.が
「人間を数字に置き換えるようになったら、おしまいだぜ。──サイボーグ」
「ゼノサーガ」より
っていうセリフを言うんですね。このセリフにはバシっと背中を叩かれたような衝撃を受けたものです。そう、まさにこれ。今の新型コロナでもそうですが、私たちはちょっと規模が大きくなるとなんでも「数字」という簡単でわかりやすい情報に置き換えて処理してしまう。その数字「1」つひとつがそれぞれ人格や人生、家族らを持っていることを無意識に考慮から捨てる。これって本当に誰もがやらかすことだと思っていて、だからこそとても危険。誰もがやらかす=社会がそれを受け入れるということです。つまり、自分がいつ、その数字の「1」になるかわからないということであるし、「1」になったら「自分が何であるか」なんて誰も考慮してくれないというわけでもあります。恐ろしいことに。「今日は●●人か~、少し減ったね~」なんて会話の中で、その「●●人」に含まれた人が今どれほど苦しんでるかまで気の回る人はとても少ないはずだ。
さて、話を戻してエリオット中佐。
俺たちエウロスは、参謀部が何と言おうとお前たちの味方だ。三課だろうが六課だろうが関係ねぇ。カティ・メラルティンが健在である限りは、間違いなくな
と、絶対的安牌をマリーたちに手渡すわけです。カティが健在である限り、と注釈をつけていますが、これはエリオットがカティを強く信頼しているからこそのセリフです。カティは簡単に軍部政治の思惑に流されたりしない、という。
で、「そんじゃ!」と部屋を出ていってしまったエリオットを、マリオンが追いかけてあれこれインタビュー。意外と行動力あるじゃん、マリオン。で、マリオンがカティとの関係を訊くと、エリオットはあっけらかんと応えます。
「俺は大佐に惚れてる。本気で落としにかかってる。でいいかい?」
40も半ばですからね。16歳、17歳のJKにズバリ切り込まれたくらいで動揺なんてしやしません。
コレは良いとして、エリオットはヴェーラ=イザベラを見抜いていました。というか、ヴェーラに近かった人たちは割とみんな知ってます。実はイザベラもそうであることは開示はしないし認めもしませんが、割と適当なので。
で、その選択の結果が今だということに対して、マリオンは「何ができるか」と問いますが、エリオットは即答します。
「何も」
苦渋の応えだったと思います。そしてエリオットほどの豪傑ですら無力感に苛まれると。
「今度こそは、と、俺たちに希望を見出そうとしている。応えられるのは歌姫しかいねぇ。嘘のない世界で、話をしてやれ」
で、このセリフ。これ、実は第八章最終パート「ことづて」の伏線になっていますよ(゜¬゜)
そしてここでエリオットの主たる登場シーンは終了となりました。
ちょい役に見せかけて、実はとんでもない重量級なセリフとぼこぼこぶっ放していったという話ですね。