99-99-01:静心にて、花の散るらむ

静心:終章 コメンタリー-静心
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これは「#99-99: 心静かに花は散る――。」に対応したコメンタリーです。

イザベラの反乱から五ヶ月。多分五月の下旬頃。2099年のヤーグベルテ統合首都は、遅い桜となっています。寒かったんですね、きっと。

イザベラの反乱についてはサムがドキュメント化し、マリアが裏であれこれ手を回して発行するに至っています。「セルフィッシュ・スタンド」の事件がここで効いているんですね。政府も二度目の焚書はできなかったし、仮にそれをしたら、#08-03のあの大統領の演説がちぐはぐなことになってしまう――というところも含めて、マリアのたなごころの上です。

マリオンも「歌姫計画セイレネス・シーケンス」についてだいぶ理解してきていますね。

 実際のところはどうなのだろう。ナイアーラトテップI型や、生首の歌姫たちも気にかかる。
 だけど、それは多分カワセ大佐が考えるべきことだ。私たちは文字通りのとしての活動にいそしめればそれでいい。

これ、一種の逃避のように取れますけど、そうじゃないんですよ、マリオンの中では。マリアが裏で色々やってるのはマリオンにも理解できた。マリアがその役割から逃れられないのも理解できた。だから、止めることはできない。だけどそこでマリアが何を考えようと、自分はそれに寄り添わなくちゃならないんだ――くらいには考えてるんです。本文では語ってませんけど、ここに至るまでに醸成された関係性を考えてもらえれば「なるほどそうか」になるのではないかと。

「歌姫としての活動」というのは、本当に軍資金稼ぎのライヴ活動とかの話。#01-02#01-03ヴェーラたちがやっていたような。

さて、ここでマリオンとレオンは新居に済んでることが明らかになります。二人暮らしを始めたんですね。桜の木がある庭つき、なので結構大きい家でしょう。

マリオンは窓辺に移動し、レオンもついてきます。いつでもぴったりくっついてくるようですね、レオンさん。

「雨が上がってるね」

レオンは空を見て言うわけです。

 本当だ。つい今さっきまで降っていたのに。私が来るのを待って止んだのかもしれないな、なんて自惚うぬぼれてもみる。そしてそこに、ごう、と春の風が吹く。庭の桜の花が、薄紅色の花弁を散らしていく。雨を耐えた花たちが、風によって解き放たれていく。

ここの終盤。ここ、本編中でも屈指の頭悩ませポイントでした。表現がしっくり来なくて何度も直したところですが、最終的にはいい感じかなと。「冬来たりなば、春遠からじ」というシェリーの詩が作中2度引用されていますが、ここではそれを一歩進めた世界にしています。冬の果てに春がやってきた、散っていった花もあるが、春の雨をも耐えた花々は、春の風によってのだと。

レオンは遅くに来た春の空を見て呟きます。

「ひさかたの光のどけき春の日に――」

もちろん、下の句は「静心なく、花の散るらむ」です。マリオンがこれを知っているというのは、#04-01の冒頭で出ていますね。このときも5月(ただし上旬)、レオンが上の句を読んでいますね。

マリオンはそこで正しい答えも言えたんですけど、イザベラの反乱を巡るいろいろなことを思い起こして、アレンジを加えます。

「静心、花の散るらむ」

と。「落ち着かない様子で」という意味が元の句。アレンジ版は「すべてを受け入れた様子で」というような意味でマリオンは発話しています。たくさんの犠牲者をその言葉で弔った――というわけです。

そしてラスト1文。

 ディーヴァのいない世界は続いている――。

ディーヴァは「いない」。つまり、マリオンもアルマS級歌姫ソリスト扱いなんですね。未だに歌姫計画セイレネス・シーケンスが続行中だということが暗示されて、終劇、となりました。


コメンタリー踏破された方、長々とお付き合いさせてしまってすみません。と同時に、ありがとうございます。本編5割増しくらいの長さになってます。本当にお疲れさまでした。

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