生首歌姫たちのみならず、アーシュオンの艦隊は、イザベラのただの一声で壊滅させられます。それだけイザベラの怒りが激しかったということです。
イザベラのその凄烈としか言えない歌は、さながら雷神の鉄槌となって、真夜中の静寂を粉砕した。赫々たる爆炎が闇の空を焼き、生命と鉄屑の上げる輝きが悄然と海を照らす。
この「雷神の鉄槌」っていうのはもうあれですね、銀河英雄伝説のイゼルローン要塞、トールハンマー。こいつを連想してくれると嬉しい。静寂を粉砕するとか、赫々たる爆炎が闇の空を焼くとか、悄然と海を照らすとか、いろんな語彙を駆使して戦況を語ってみたという部分。
マリオンさんはその破壊の凄まじさにぼんやりしているんですが、そこに襲いかかってくる生首歌姫の断末魔。「オルペウス」とレベッカが叫んでいますが、この「オルペウス」というのが対セイレネス防御システムのことなんですね。
セイレーンとオルペウス……と並べてピンと来る人はあまりいない気がしますが、コレの元ネタはアポローオニスの「アルゴナウティカ」。物語としては紀元前三世紀に作られたもので、ホメロスを手本にしていると言われています。で、この中に「セイレーン」と「オルペウス」が出てきます。物語の主人公はイアソンとアルゴナウタイなんですが、それに同行する者の一人が詩人・オルペウスなわけです。セイレーンの歌を聴いてしまうと色々やばいことになるんですが、そこでオルペウスは琴を掻き鳴らしまくって歌を中和するんですね。で、旅を続けらたと。……というエピソードと重ねて「セイレーンの歌から身を守る手段=オルペウス」となっていると。
ヤーグベルテ首脳陣も馬鹿ではないので、いずれ「歌姫」のテクノロジーが他国に渡ることも承知していたわけです。そりゃそうですね。で、その時のために防御システムを開発していたと。と言うか元々このシステムはアーシュオンの超兵器に対抗するために作られていたわけです。その開発責任者は当時の参謀部大六課の統括エディット・ルフェーブルで、技術責任者は勿論あの方、技術将校ブルクハルトです。また、敵国の飛行士である、ヴァルター・フォイエルバッハの協力があったことも忘れてはいけない所。これは「セイレネス・ロンド」の第二部で出てくるエピソードです。
と、まぁそういうシステムがあったんですが、マリオンの展開は間に合わなかった。その結果酷い目に合うマリオンですが、同時に激しい怒りに捕われます。
「これが……こんなものが、快楽かっ!」
振り払う。まとわりつく湿った黒い糸のようなものをちぎって捨てる。
「こんなことを、悦楽とするのかッ!」
マリオンらしからぬ口調ですが、これは完全にマリオン暴走状態なわけです。が、そこにレオンの気配がやってきてマリオンさんすぐに落ち着いちゃいます。今はそれどころじゃないことを思い出したんでしょう。
レベッカは言います。
『エディタ、後退指揮! マリーと私を置いて、全速で反転しなさい』
『提督、しかしそれでは――』
『エディタ、命令です。私にも、あなたたちを守れない』
レベッカにも余裕がない状態。実際にイザベラたちの攻撃が迫る。レベッカの戦艦ウラニアがそれらすべてを引き受けて弾き返す……!
『エディタ! 次は守れない!』
『い、イエス・マム。全艦反転! レオナ、お前もだ!』
『マリーを置いてはいけない!』
「レオン」
私はアキレウスを進め、戦艦・ウラニアと並走させる。
「行って。私は大丈夫。必ず帰る」
私はそう言って、レオンの気配を押しやった。
マリオンは本当はレオンといたいと思っているんですけど、同時に絶対に死んでほしくないとも思っている。結果としての「行って」だと。イザベラはとことん恐ろしい相手なんです。最強の歌姫ですからね。残念ながら、イザベラとレオンとでは、格が違いすぎる。やろうと思えば即死させられかねない。そんなことはマリオンには分かっているのです。
そしてマリオンはアキレウスに搭載されている艦首粒子ビーム砲を撃ち放ちます。これ、拡散粒子砲なんですね。サイコガンダムMk-IIみたいな。大出力でぶっ放したものを反射板使って自由自在に攻撃するという反則技。重巡アルデバランやケフェウスに搭載された拡散粒子ビーム砲とはまたわけが違う。ビームの一本一本が完全に制御下にあるので、狙った目標を外すことはないわけです。
しかしだからこそ、マリオンに逡巡が生じる。「狙って殺せる」わけですから、今正にマリオンは任意で命を選別しようとしているわけです。怯まない人はいないはず。ましてや顔や名前を知っている歌姫たちが大勢いるわけですから。
『マリー、次に同じ攻撃が来たら、私は耐えられない!』
しかし今は迷っているヒマなど無い状況。マリオンはそれを撃ち放ちます。十数隻の艦艇を蒸発させ、数百人を殺害するマリオン。そして、歌姫たちの断末魔が襲いかかってくる……んですが、マリオンはオルペウスを展開しません。真正面から断末魔たちを苦しみながら受け止める。
でも、耐えなければならない――そう信じた。
マリオンかっこいい。マリオンかっこいいよ! 地味なんだけど、ちょいちょいかっこいいんですよ、マリオンさん。内向的な面は変わらないにしても、自分の行為に対する責任は取ろうとする、すごいみずみずしい正義感があるんです、マリオンさんには。
しかし、その直後、レベッカはマリオンにも退却を命じます。しかし、機関は止まるわ、火器管制システムも止まるわで、アキレウスはただ浮かんでるだけ状態に陥ります。
「アーメリング提督! 本艦、動けません!」
『イズー……。そういうこと?』
『そう、その通りさ。マリーには立会人になってもらいたいと思ってね』
ここの、「そう、その通りさ」、記憶にありますか? これ、#01-01でレベッカが言っているんですよ。このフレーズは多分レベッカの口癖なんです。で、イザベラはそれを真似たという。
マリオンが呆然と見つめる先で、二隻の戦艦は向かい合い……
『さぁ、おいで、ベッキー』
『……行くわ』
始まってしまうのです。これ「行くわ」に”It’s my will”と当ててるのはけっこうなこだわりがあって。「”Come on!”と言われたから行く」のではなくて「私が今からあなたのところへ向かうのは、私の意思なんだよ」という意味なのです。
そして始まる砲撃戦。圧倒的な火力を有する二隻の戦艦が真正面から撃ち合うわけです。超火力と絶対防御の艦ですからお互いに傷はつかない。しかし、どれもが即死級の一撃。気を抜いたほうが負ける――というギリギリの戦いなわけです。ちょっと地味な感じのあるレベッカですが、それでもガチで凄まじい戦闘力を持っていることが明らかになりますね、改めて。
今まで見たどの戦いよりも、激しく、美しかった。
と、マリオンは思います。そりゃそうです。もうなんというか、そりゃそうなのです。
『ベッキー、きみにはまだ、迷いがある』
『私は――』
『決めただろう。あの時。きみはわたしにノーと言うと』
『あなたを止める。誰にも私たちの悲しみは、継承なんてさせないんだから!』
ここなんですよ、この差。レベッカとイザベラの差は「迷い」なんです。そしてイザベラは、ヴェーラは、レベッカがこうして「迷い」を棄てきれないことを知っていた。だから「負けない」ことも知っていたわけです。イザベラはとっくに「愛するレベッカを殺す覚悟」ができていたというわけなのです。
『いずれにせよ、悲しみは残るさ』
これ(↑)がイザベラの「吹っ切るための言葉」ですね。
『ねぇ、ベッキー。セイレネスに賭けたこの勝負、どうやらわたしの勝ちだね』
『まだよ――!』
『わたしの狂気が、きみの正義を殺す』
『はいそうですかと言えるわけもない!』
その言葉とともに放たれたレベッカの攻撃は、鎧袖一触と言わんばかりに弾かれます。
『効かない。きみには覚悟が足りない』
『そんな……!』
『あわよくば殺さずに無力化しようだなんて、そういうところがきみらしい! きみとわたしでは、役者が違う!』
「役者」という表現ですが、これは「舞台」なので、絶対に使わなきゃならないと。イザベラにはレベッカの思いなんてお見通しなわけです。だからこそ、イザベラは本当に苦しんでいる所。レベッカは気力を奮い立たせて言います。
『私にはね、イズー。あなたの行為を止める義務がある。国家と国民を守る義務がある!』
レベッカは最後まで正義の人なんです。彼女たちをここまで追い込んだもの、彼女たちをここまで蝕んだもの――それがヤーグベルテであり戦争継続のメソッドなわけです。だけど、レベッカは「人々を守る」立場を選んだ。それはなぜかと言うと、イザベラが「人々の脅威となる」立場を選んだからです。
レベッカのその言葉に、イザベラは応じます。
『おためごかしとは言わないさ。でもね、奇遇なことに、わたしにも義務がある。愛するヤーグベルテの国民の皆々様の目を覚まさせるという義務が、ね』
おためごかしとは言わないさ――それは君の本音だとわたしは理解するよ、という意味です。で、イザベラは改めてレベッカとの立場の違いを明示するわけです。
見ていることしかできないマリオンは、そばにレオンの気配を感じながら思います。
二人はきっと、こうなることをとっくに知っていたんだ。何度も何度も交わしてきた言葉なんだろう。今はそれを再確認しているだけなんだろう。
この(↑)マリオンの洞察は正解です。
『わたしはいずれにせよ遠からず死ぬだろう。だけどね、わたしはそれについては、これっぽっちも、そうだね、芥子の粒一つ程の迷いすらない。ベッキー、きみは死ぬのが怖いのかい?』
『……私はあなたとは違う』
『そうか。それはそうだ。でも、わたしだって怖かったんだよ』
「死」を巡るやりとり。レベッカは死ぬのが怖いんです。同時に殺すのも怖い。ましてや愛する自分の半身、愛するヴェーラを殺さなければならないことに、怯えているんですね。でも、イザベラはヴェーラとして一度死んでいる。その時の「死の経験」があるから、死は言うほど怖くない。最後の最後でヴェーラは「死は眠りに過ぎない」と言いますが、それはやはりこの死を経験したというところから来る達観というか諦観、超越的ななにかがあるのかと。
その一方で、躊躇や恐れ……そういったものが溢れてくるレベッカに対し、イザベラは言います。
『彼らはね、知るべきなんだ。自分たちの頭の上に、刃煌めく鋭い剣があることを。そしてそれがいつでもいつだって自らの身に落ちかかってくる可能性があるということを。彼らは自らの力でその事実を知ろうとすることはない。よしんば知ったとしても、その真実を認めようとはしない。だからわたしが彼らに否応なしに思い知らせる。そうしなければならないんだ。完全に、抜け目なくね』
これは、マリオンも言っていますが、「イザベラの正義」なんです。劇中何度も「強すぎる正義は自分を焚く」というようなフレーズが出てきますが、まさにここで、イザベラとレベッカの「正義」が己が身を焼き焦がしているわけです。
『これはね、啓蒙なんだ。戦争という行為を娯楽とし、愉悦を生み出すものと誤解し、わたしたちの歌に耽溺し、わたしたちの生命を消費し、安寧と娯楽を何の対価もなく与えられることに慣れきり、思考を放棄した救いようのない人々に対する、愛のある福音なのさ』
ものすごい長い文章で喋っていますが、ここは完全に演劇を想定。#01-01で、
『戦争って、いつから娯楽になったんだっけ?』
とヴェーラが言っていますが、そのことに対して激怒しているんです。その事実と、誰も変えようとしてこなかった現実とに対して、激怒し続けているんですね、これが。
で、イザベラは更にレベッカに追い打ちをかけるんですね。しかしこれは、血を吐くような思いで言っている言葉でしょう。
『きみの言うことはね、そして、きみの為すことはね、悉皆、綺麗事なんだ、ベッキー』
「セイレネス・ロンド」の第一部でも似たようなやり取りがあったりします。ヴェーラはもともとレベッカに対してキツイ指摘をするところがあったりするんですが、最後の最後でもそれは変わらなかったんですね。ちなみに「悉皆」っていうのは「全部」という意味です。きっついね……。
『だからね、ベッキー。綺麗であることは素直に称賛する。憧れる。わたしはきみのことを尊敬しているし――そう、愛しているよ。それほどまでにわたしはきみのことを大切に思っている。だけどね、その綺麗さはね。きみの綺麗さはね。わたしのような疑いようも救いようもない穢れた人間があって、初めて成立する類の綺麗さなんだ』
「愛している」と。二人の信頼関係を言葉にするならまぎれもなく「愛」ですからね。イザベラは究極的な自虐を言い、そして「レベッカと自分は光と影のようなものだ」というようなことを伝えます。二人が「言葉」で対話していることにも注目してほしいですな。セイレネスを使えば誰にも聞こえないようにやり取りすることもできる。けども、二人は「言葉」を棄てていない。このやり取りは実際に生中継されています。すべての国民に届いているんです。情報だけは伝わっている、と言うのが正しいかもしれない。しかし、残念ながら、人々は理解できないんですね、この二人の思いとかやり取りの意味とか。未だ国民はこの殺し合いをショーだと思って観ているんです、残念ながら。
『さぁ、どうする、ベッキー。わたしという汚穢を刮ぎ落とし、自らの清麗さをも失うかい? それともわたしという罪業深き者の剣の前に倒れ、わたしのための礎となろうとでも言うのかい?』
『そんなの、択ぶことなんて出来ない。だから、こうして戦うの!』
この演技じみたイザベラのセリフもわざとです。人々が理解しやすいように、分かりやすい舞台を作ってやろうという宣言でもあります。
そしていよいよ戦いが最後の時を迎えるにあたって、イザベラは言います。
『ベッキー。あのさ……もし生まれ変わることがあるとしたら。比翼の鳥、あるいは連理の枝となろうよ』
『ここにきて、長恨歌だなんて、あなたっていう人は……!』
『もちろん、きみが嫌じゃなければ、だけどさ』
『嫌なはずがないわよ、イズー……』
『……わたしはきみを今にも殺そうとしているのに?』
『私も今、あなたを殺そうとしているわ』
そしてレベッカも「迷い」を棄てます。ちなみに「比翼連理」はベッキーの言う通り白居易の「長恨歌」から。コレが出てくるのは一番最後なんですが、この比翼連理の後に続くフレーズもまた大事なんです。
在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
長恨歌
天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期
二行目の方の意味は(ちゃんとした現代語訳はググってほしいのだけど)「天地は悠久に続くものなれど、いつかは終わりの時が来る。しかし、この悲しみだけはいつまでも続き、消えてしまうようなことはない」という感じ。「どんな事があってもこの悲しみだけは消えないよ」と言う意味を込めて、イザベラは長恨歌を出しているんです。比翼連理の思いもあるけど、そこでは語ってない最後の部分にこそ思いを馳せていたというわけです。
そして次に来るのはシェイクスピアの四代悲劇の一つ「マクベス」。
『消えよ、消えよ、刹那の灯り』
『人生とはただ彷徨う影のごとし、哀れなる役者に過ぎぬ』
『どれほど喚き騒ごうとも――』
『それは舞台の上の話に過ぎぬ』
最後の一行はマリオンが言ってますね。「その役者の出番が終わった後は、もはやなんぴととて耳も貸さないのだ」と。ちなみにこの翻訳は私のオリジナル。オリジナルって言っても、偉大なる先人方の素晴らしい翻訳は大いに参考にしましたよ。結構解釈には悩みましたけども。
で、ここの元の形はこんなです。
Out, out, brief candle!
マクベス
Life’s but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more
ちなみにこのマクベス、最後の最後で”To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,”の部分が引用されて出てきたりもします。
そこからまた何時間と戦闘は続きます。レベッカが「迷い」を棄てていなければ、或いはもっと早く決着がついていたでしょう。
しかし、最後の時はやってきてしまう。イザベラはその時を悟り、またもシェイクスピアを引き合いに出します。
『運命は星たちなんかの持ち物ではない』
『それは私たちの思いが決めるもの――ジュリアス・シーザー?』
『正解』
ジュリアス・シーザーという戯曲があるのです。その第一幕第二場、キャシアスがブルータスに話しかけるシーンに出てくるセリフ、
The fault, dear Brutus, is not in our stars,
ジュリアス・シーザー
But in ourselves,
ここが出展です。イザベラとレベッカは、私たちが「一般的に知っている格言」からの翻訳を使っていますが、原典をたどると結構意味が違うとわかると思います。
直訳すると「こんな事態に陥った責任は我々の運命によるものではない。我々自身にあるのだ」ということになります。が、この本来の翻訳をあててもドラマティックになりにくいし、何より知名度がひくすぎる(‘д’) ので、敢えて大衆的な「運命は星立ちの持ち物ではなく、我々の思いが決める」という方を採用したという次第です。
そして二隻の戦艦は最終攻撃形態に変形していきます。#01-01の再現です。ただし、お互いの艦首はお互いを向いている……。
曙光に輝くセイレーンEM-AZが、淡々と変形していく。レベッカの声がそれを追う。
ここで「曙光」を使ったのは、#01-01のここを引っ張っています。
曙光に向かって進む二隻の戦艦は、豪勢な沈黙を纏いながらその時を待っていた。
二隻の戦艦は「並んでいる」んですね、#01-01では。そして「その時」を待っている。そして今は「向かい合って」いて、「その時」なんて待っていない。けど、どちらも無情に時間は進み、事態は動いてしまう。
そして次は「ハムレット」。誰もが知ってるこのフレーズですね。
『このまま耐え忍び生きるべきか』
『それとも戦って果てるべきか』
そして二人は笑う。ひとしきり笑って、同時に言った――それが問題だ、と。
原典は勿論これ:
To be, or not to be, that is the question.
ハムレット
ここ「生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ」という訳がすごく有名ですが、実際にはこのようにイザベラ、レベッカが言っている解釈が正しいんです。「現状に満足してただ諾々と生き続ける」 or 「現状を良しとせずに命を賭けて戦う」かと。なお、小田島雄志大先生の翻訳では「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」となっていますね。ハムレットは面白いので是非読みましょう。
そしてこの「To be, or not to be」は、本作「静心にて、花の散るらむ」のテーマでもありますよ。#08-07のタイトルは「To Be.」ですしね。
そして二人はお互いに全力で最強の攻撃を繰り出すのです……。
『まったく、残念だよ、ベッキー……』
『さよなら、イズー……。愛してるわ』
『わたしも、愛してる』
レベッカが人生の最期に聞いた言葉が、愛する人からの「愛してる」なんです。そしてイザベラ(ヴェーラ)が愛する人から最後に聞いた言葉もまた「愛してる」なのです……。