これは「04-01: セルフィッシュ・スタンド回収事件」に対応したコメンタリーです。
さて、5月の上旬に桜は散ります。ヤーグベルテ統合首都の気候はほとんど北海道(というか札幌)と一致します。寮の窓から外を見ていたレオンさん、コーヒーを受け取るとおもむろに和歌を読むわけです。
「ひさかたの光のどけき春の日に」
「静心なく花の散るらむ――?」
瞬間的に下の句を続けられるマリオンさん。実はかなり博識なのでは説。というか、この辺の登場人物は百人一首くらいなら完璧に抑えていそうではあります。「和」の国がないのに和歌ってのもどうなのって感じもありますが(ヤーグベルテの公用語はEnglishですし)、そこはそれ。リアリティよりもガジェットエフェクトを重視です。そしてこの「静心なく花の散るらむ」がここで出てくることで、最終話の「静心にて花の散るらむ」というマリオンの返しが効いてくる(と思う)わけです。というかこで「正しい」下の句出さないと、作者ただの「間違った人」じゃん?
で、レニーも出てきて「アルマどこ行った?」「やばいことしてるんじゃないか」問題が噴出。なにせ現代の焚書とも言える事件が起きた日のことです。その前辺りから胡乱な動きを見せていたようですね、アルマさん。ソワソワしてたんだと思う。
とか言ってるところで、アルマさん凱旋。「焚書」対象である「セルフィッシュ・スタンド」、著者は03-06で登場してきたぶっとび記者、サミュエル・ディケンズ(サム)です。電子書籍のロックは解除するわ、紙媒体は持ち込むわで、アルマさん無双。しかも先輩と組んでロック解除プログラムを作っちゃったりしてるあたり、やっぱりマリオンの数倍社交的かつアクティヴ。しかも、万が一発覚したとしても「自分はそれなり程度の処分しか受けない」ということを知っています。自分の立場をよく理解して最大限利用している、恐ろしいJKです。そう、彼女らはまだJKの年齢ですからね。
で、サムがいかに歌姫に近い人物なのかが語られたりしています。十数年の付き合いともなればヴェーラたちだってそりゃ打ち解けます。しかもサムは決して嘘や誇大記事を書く人物ではないのです。サムはアエネアス社(=サムの所属する企業)の中でもかなりの異端児ですが、それでもクビになることもなく、歌姫担当から外されることもなく。これはサムの政治的立ち回りの巧みさと人脈の凄まじさの現れなのです。
そしてそのサムの狡猾さは、この「セルフィッシュ・スタンド」という書籍そのものにも現れているのですね。検閲・削除させることがそもそもの目的で、それによって削除を免れた残滓が政府・軍部に向かって炎上するという。自分は何の手も汚すことなく、目をつけられたところで本人は痛くも痒くもなく、狙ったところが燃える。そしてその結果として「歌姫」について注目する人間が幾らかでも増える。
しかし、そのサムをも上回る「陰謀」がここにあって。レニーとレオンは薄々それに気付いてるというわけです。普通ならここで「サムが悪い」となるんですが、レオンとレニーがこんな事を言ってます。
「マリーはバカじゃないよ。これを読めば納得いくだろうけど、この本は痛烈にヤーグベルテの国民を非難してる。だけど多分、これからネットにAIによって許可された断片情報が上がっていくことだろうね。文脈を無視した断片情報が。その結果、何が起きるかな」
「……炎上?」
「正解。文脈は無視され、切り取られ、その微視的視界で議論されて、燃え上がる。過去百年近く連綿と続いてきた国民自らによる際限のない言論統制の始まりっていうわけ」
その結果……歌姫をよく知るサムは、国民に敵視される。そして歌姫、ひいては軍や政府批判の材料にもされる。
「……参謀部第三課」
つまり、サムの戦略的敗北を示唆されているんですね、これが。「歌姫たちの真実に注目して欲しい」という目的で少々手荒な手段を講じたサムだったんですが、参謀部第三課統括アダムス大佐の方が上手だったと。この参謀部第三課、というかアダムスという人物は、参謀部第六課にとっては不倶戴天の敵のような存在で、前統括エディット・ルフェーブルは彼のことを「アダムスの野郎」と呼んで毛嫌いしていました――ということは割と有名な事実だったので、レオンたちもその結論に一足跳びでたどり着いたんでしょうな。
「敵」の姿が垣間見えたような気になったんでしょう、彼女らは沈黙に落ちるわけです。が、そこでレオンが――。
「μῆνιν ἄειδε, θεά」
という「イリアス」の有名な一節を唱えます。「女神よ、怒りを歌い給え」ですね。
それに対してマリオンは言います。
「私、怒りなんかで戦いたくない」
と。これは後のイザベラの数々の言葉を受けるマリオンの答えでもあります。「怒り」、言い換えるなら「義憤」かもしれませんが、そういうもので正義の鉄槌を振り下ろそうとしたイザベラに対して「そんなのは間違えている」と真っ向から答えているという構図。
マリオンらしい、甘さなんですが、ここにいるアルマ、レオン、レニーたちはそこまで甘くない。というか、甘くなれない。だからマリオンには「そのままでいて欲しい」と願うわけです。
でもって、サムの情報がどこにも見つからないという異常事態に、マリオンたちも「恐ろしい何か」に気付き始めます。レオンがレニーに尋ねます。
「政府あるいは軍による情報統制は始まってる。だよね、レニー」
「ええ。それだけじゃないわ。D級たちの本当の思いも、ネットにはないわ。仮に誰かがそう思い馳せたとしても、情報として姿を見せた瞬間に意味を消失するの。見える情報は、軍と政府のAIが見せてもいいと判断したものだけ」
「AI」の存在はこの第四章後半でも出てきますが、とにかく実体のわからない気持ち悪い奴らなんですね。と言っても生活には深く根ざしている、どころか超AIジークフリート(←「静心」では名前は出てきませんが、ジョルジュ・ベルリオーズが組み上げた人類史上最強最大のAIの名前です。歌姫計画もまた、ベルリオーズとこのジークフリートが叩き出した人類の未来のための最適解です)がAIを作り管理するということすらしている、言わばシンギュラリティを超えた時代なので(ただし人類が思っていたほど劇的な進化は訪れなかった)、AIを排除することはもはや不可能なわけなんですけどね。
だから「今見えるもの」は、「今見せても良いもの」でしかない。そんな管理統制された世界であるということに、サムは気付かせた――という意味では、あながち第三課や政府に敗北したわけではないのかもしれない。
イザベラの話とかも出ますが、まぁ、そこは端折ります。
そこに驚くべきニュースが入ってきます。
通常艦隊である第七艦隊が、アーシュオンの超兵器、クラゲことナイアーラトテップを二隻も撃沈したという報せです。通常艦隊が超兵器を撃退するなど、今まで一度とてなかったことです。マリオンたちも驚きます。第七艦隊、「潜水艦キラー」リチャード・クロフォードは確かにヤーグベルテ最高の知将・名将ですが、それでも超兵器には歯が立たなかったわけです。
ハテナマークを飛ばす一同のもとに情報が飛んできます。第七艦隊旗艦(空母)ヘスティアに、エウロス飛行隊、それも「空の女帝」カティ・メラルティン大佐の直属部隊エンプレス隊が全機搭載されていたと。つまり海軍・空軍の共同作戦だったというわけですね。
エンプレス隊といえば、03-05のイザベラの処女戦で12 vs 300の戦いで完勝した部隊ですが、それが倍の24機、つまりフルメンバーだったというわけですから、マリオンの「災難だねぇ」という感想も宜なるかな。圧倒的最強の航空部隊ですからね、エンプレス隊。
そしてここで「空の女帝ことカティだけが超兵器をどうにかできる」ことが判明します。「セイレネス・ロンド」の方では他にも多数対処できる人材が生まれてくるのですが、「静心」ではカティだけなんですね、これが。
そしてマリオンたちも自分たちもまた「情報戦」に巻き込まれていたことを実感します。というか「情報戦」という意味ではサムの書籍の事件も情報戦なのですが。なので、このパートでは二つの戦線が動いていたことになりますね。軍とか政治とか、まことに伏魔殿ですなぁ。